東名高速御殿場ICから国道136号(乙女道路)を通って箱根へ。そこから、いろいろな道を走ったが、国道136号に戻って、狩野川沿いに南下する。 |
「眠雲閣落合楼」は創業125年の老舗旅館。有形文化財である。猫越(ねっこ)川と本谷(ほんたに)川が庭内で合流して狩野川となるのを見て、山岡鉄舟(1836〜1888) が「落合楼」と名付けたそうだ。 |
明治42年(1909年)、島崎藤村は修善寺温泉から馬車で湯ヶ島温泉へ。「落合楼」に泊まる。 大正3年(1914年)5月2日、東洋大学の創設者井上円了は大仁駅より馬車で湯ヶ島温泉を訪れ、「落合楼」に宿泊した。 昭和2年(1927年)7月25日、萩原朔太郎は落合樓で芥川龍之介の自殺を知る。 |
七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向かつた時、女中がさりげない風でたづねた。 「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」 「うん、知つてる。それがどうした?」 「自殺しました。」 「なに?」
「芥川龍之介の死」 |
昭和7年(1932年)11月27日、与謝野晶子は「落合楼」に泊まっている。翌28日、伊東「抛書山荘」に2泊。鉄幹は風邪で同行しなかったそうだ。 昭和10年(1935年)1月、北原白秋は「落合楼」に20日あまり滞在した。 |
昭和十年一月、伊豆湯ケ島温泉落合楼に遊ぶ。淹留二十 余、概ね渓流に臨む湯滝の階上に起居す。 黄鶺鴒 行く水の目にとどまらぬ青水泡(あをみなわ)鶺鴒の尾は触れにたりけり 事も無し冬の朝日に岩づたふ黄の鶺鴒の一羽をりつつ
『渓流唱』 |
昭和12年(1937年)10月8日、与謝野晶子は伊東「抛書山荘」に2泊。11日、修善寺温泉から浄蓮の滝を訪れ、湯ヶ島温泉「落合楼」に泊まった。翌12日、三嶋大社を参詣。 昭和31年(1956年)1月4日、水原秋桜子は落合楼に泊まっている。 |
落合楼に泊る 鯉あまたひそめる池か藪柑子 炬燵して渓声雨声暮れゆけり
『玄魚』 |
「眠雲閣落合楼」は狩野川を挟んで「落合楼村上」と「眠雲閣落合」に別れてしまった。 |