この建物は、明治29年(1896年)に三菱造船所第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎である。ドックは造船所の主要施設で、船の建造や修理を担う。三菱造船所(現三菱重工業樺キ崎造船所)は安政4年(1857年)操業の長崎鎔鉄所を前身とする。明治17年(1884年)に創業し、対岸に見えるのが現在の工場である。ジャイアント・カンチレバークレーン(1909年)、第三船渠(1905年)などが2015年に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された。
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ベランダから見下ろす。

人が多かった。
高島流和砲

高島秋帆は、長崎に生まれた幕末の兵学者、砲術の高島流の祖です。この大砲は、高島秋帆の指導の下、鉄砲鍛冶の野川清造によって造られたものといわれています。
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桜が咲いていた。

日本西洋料理の開拓者
草野丈吉之像

ジャコモ・プッチーニの像

ジャコモ・プッチーニと蝶々
明治の長崎を舞台にしたオペラ「マダム・バタフライ」はイタリア人作曲家、ジャコモ・プッチーニ(1858―1924)の傑作。彼の生地イタリア国ルッカ県およびマダム・バタフライ・コンクール協会から、両都市の友好と世界平和の願いを込めて寄贈されたもの。像の作者は、フランス人彫刻家ジルベール・ルピーグル。
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三浦環の像

昭和38年(1963年)、建設。
日本が生んだ世界的プリマドンナ三浦環は、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニが長崎を主題としたオペラ「マダムバタフライ(蝶々夫人)」を30年の長きにわたり世界各国で歌い続け、美しい名曲を通じて広く海外に日本婦人の愛の美徳を紹介した。
その功績をたたえるためプッチーニの肖像とともに、ゆかり深きこの丘に三浦環の立像を建立して永く後世に伝えるものである。
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ジャコモ・プッチニー肖像

正面円形の肖像は歌劇“蝶々夫人”の作曲家ジャコモ・プッチニー氏である。イタリアの大理石で造られ、イタリア大使館から寄贈されたもの。
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旧リンガー住宅

桜が咲いていた。

旧オルト住宅

オルトと土佐藩士
イギリス商人・オルトは土佐藩との関係が深く、土佐藩はオルト商会から多くの船や武器を購入しています。慶応3年(1867年)4月に起こったいろは丸事件(※)でも、オルトに相談したことがあったようです。岩崎弥太郎の日記によれば、5月22日の聖福寺での談判の後、坂本龍馬は後藤象二郎・岩崎弥太郎らとオルトを訪ねています。
※坂本龍馬らが乗っていたいろは丸が紀州藩船と衝突し、沈没した。
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旧スティール・アカデミー

旧グラバー住宅模型

旧グラバー住宅は保存修理工事中。
長崎港

対岸に三菱造船所が見える。
トマス・ブレーク・グラバー之像

昭和36年(1961年)10月、建立。
英国人トマス・ブレーク・グラバーは安政6年(1859年)長崎に来て、貿易業を営むかたわら近代的な造船・掘炭・製茶などの事業をおこしわが国産業の発展に貢献した。その間特に薩長土肥の諸藩に協力して明治維新の大業に寄与した。その偉功により勲二等旭日章を授けられ明治44年(1911年)73歳で永眠した。
ここに胸像を建てその功績を永く顕彰する。
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長崎本線長崎駅「かもめ22号」

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