2021年高 知

寺田寅彦銅像〜追手筋〜
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高知市追手筋に「オーテピア」がある。

高知城下町名今昔

 追手筋

 高知城の正門追手(おおて)前から東の廿代筋までをつらぬく表通りで、参勤交代の行列もここを通り山田橋へ向かった。はじめは大門筋と言われた。家老、中老、御連枝(ごれんし)(藩主の一門)などの広壮な屋敷や北会所(藩庁)、藩校教授(こうじゅ)館などがあった。追手門の前は広場になっており、大腰掛(家来の待合所)や訴訟箱が置かれていた。

「オーテピア」の東北角に寺田寅彦の銅像があった。


平成30年(2018年)7月24日、建立。制作大野良一。

建立記

 寺田寅彦生誕140年の記念すべき年、

 南海トラフ巨大地震への警鐘を鳴らし、科学する心の大切さを伝えるために、新しい図書館「オーテピア」の開館に合わせ、母校高知追手前高校(旧高知県尋常中学校)を臨むこの地に銅像を建立できたことをともに歓び合いたいと思います。

高知追手前高校


 寺田寅彦は、明治11年(1878年)東京生まれの物理学者で、「天災は忘れられたる頃来る」の警句を残しています。寅彦の父は、坂本龍馬と同時代に生きた土佐藩の郷士で、明治時代にはの陸軍会計官となりました。寅彦は、3歳の時に大川筋の実家に帰り、少年時代を過ごしました。江ノ口小学校、高知県尋常中学校(高知追手前高校)を経て、熊本の第五高等学校に入学。そこで田丸卓郎に物理学と数学を、夏目漱石に英語と俳句を学び、東京帝国大学時代には正岡子規とも知り合いました。

 寅彦は生涯に200編余りの物理論文を発表しました。その研究スタイルは、日常の諸現象を徹底的に分析し、寺田物理学ともいわれる独自の領域を切り拓きました。その過程で「ラウエ映画の実験方法及其説明に関する研究」で学士院恩賜賞を受賞し、文化人切手にもなりました。また、一方で「冬彦集」「藪柑子集」「万華鏡」「続冬彦集」「柿の種」「物質と言葉」「蒸発皿」「触媒」「蛍光板」「橡の実」などの随筆も残しています。さらに俳句、絵画、オルガン、バイオリンなど幅広く才能を発揮しました。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称する人もいるくらいです。恩師・夏目漱石とのつながりも深く、「吾輩は猫である」の水島寒月は寺田寅彦がモデルでした。

 「ねえ君 ふしぎだと想いませんか」は寅彦が学生や若い研究者たちに折に触れて語りかけた言葉です。寅彦は少年期を大高坂山の緑と清らかな江ノ口川に代表される、美しく魅力あふれる土佐の豊かな自然の中で過ごしました。この体験が生涯を通じ、心の糧となったのです。後年、研究室で「科学者になるためには自然を恋人としなければならない」と語った寅彦は、科学者としての鋭い目と随筆家としてのしなやかな心を自然の中でじっくりと育んだのでしょう。

「オーテピア」の県道16号高知本山線沿いに「吉田東洋先生殉難之地」がある。

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