2021年神奈川

遊行寺〜河野静雲の句碑〜
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13年ぶり遊行寺(HP)を訪ねてみた。

時宗総本山清浄光寺


藤沢山無量光院清浄光寺


一遍上人像


 延応元年(1239年)、一遍上人は伊予国道後家に河野(こうの)通広の第二子として誕生。

 文永11年(1274年)、時宗を開き、大阪の四天王寺で初めて賦算(念仏札を配ること)を行う。

 弘安元年(1278年)、九州で他阿真教上人と出会う。

 弘安3年(1280年)秋、江刺の郡(岩手県北上市)に祖父河野通信の墓を訪ねる。

 正応2年(1289年)8月23日、摂津国兵庫島の観音堂(兵庫県神戸市兵庫区松原通)で入寂。

大銀杏


 慶応4年(1868年)4月12日、遊行寺は東征軍有栖川宮大総督御宿泊所となる。供奉員は西郷隆盛

中雀門


市指定重要文化財(建造物)

中雀門

安政6年(1859年)に紀伊大納言徳川治宝(はるとみ)が寄進、建立されました。清浄光寺はたびたび火災にあっていますが、この中雀門は明治13年(1880年)の藤沢宿大火の際にも焼失を免れた境内現存最古の建物です。大正12年(1923年)の関東大地震で倒壊したものを、引き起こして補修し、今に至っています。向唐門(むこうからもん)造りで、高さ約6.4m、幅は約2.7m(左右柱間内寸)です。正面破風及び屋根大棟側面と鬼瓦に菊の御紋、下り棟鬼瓦に徳川家の葵紋が刻まれています。勅使門としは閉門していますが、現在は遊行上人が出立帰山する時や、開山忌行列等の諸行事に合わせて開門されています。

藤沢市教育委員会

 大正4年(1915年)、財団法人藤嶺中学校(現:藤嶺学園)創立。前身は時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の僧侶養成機関「時宗宗学林」である。

放生池の池畔に河野静雲の句碑があった。


河野静雲の句碑


生きて居て相遇(あいあ)ふ僧や

   一遍忌   静雲

大正9年(1920年)、河野静雲は遊行寺執事に就任。

昭和44年(1969年)4月27日、建立。

昭和49年(1974年)1月24日、86才で寂。

昭和50年(1975年)1月24日、「静雲」の碑建立。

放生池


この池は一名放生の池と称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」(元禄7年10月)の日記によれば、

金魚・銀魚等を放生せんと思わば、清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、かつ放生の際は、その員数をしるし、目付へ届出づべし。

と記録されている。

古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと長寿を保つとされている。

川田順の一遍上人を讃える長唄


 糞掃衣(ふんぞうえ)裾の短く くるぶしも臑(すね)もあらはに
 わらんぢも 穿(は)かぬ素足者(は)国々の 道の長手能(の)
 土をふみ 石をふみ来て にじみたる 血さへ見ゆがに
 以(い)たましく 頬こけおちて おとがひも しゃくれ尖るを
 眉は長く 目見(まみ)の静けく たぐひなき 敬虔(けいけん)をもて
 合せたる 掌(て)のさきよりぞ 光さへ 放つと見ゆれ
 伊豫の国 伊佐庭(いさにわ)の山乃(の) み湯に来て 為すこともなく
 日をかさね 吾者(は)遊ぶを こ能郷(のさと)に 生れな可(が)らも
 こ能(の)み湯に 浸るひまなく 西へ行き 東へ往(ゆ)きて
 念佛(ねぶつ)もて 勧化(かんげ)したまふ みすがたを
 ここに残せる 一遍上人

川田 順

 明治15年(1882年)1月15日、川田順は東京市浅草区三味線堀に生まれる。佐々木信綱の高弟。

 昭和21年(1946年)秋、松山市宝厳寺にあった木彫の一遍上人像(重要文化財)を拝して作詩されたという。

 昭和41年(1966年)1月22日、死去。

 昭和53年(1978年)4月3日、建立。

高橋俊人(としんど)の歌碑


感傷も
 今宵はよろし
  開山忌
あがないてもつ
 葡萄の房を 俊人

 明治31年(1898年)8月4日、高橋俊人は藤沢大阪町に生まれる。若山牧水に師事。

 昭和51年(1976年)1月13日、没。

 昭和52年(1977年)1月、歌碑建立。

青木泰夫の句碑


戦後遠し
 働く蟻と
 迷ふ蟻

昭和3年(1928年)6月30日、青木泰夫は生まれる。

昭和63年(1988年)3月11日、没。

昭和63年(1988年)9月18日、句碑建立。

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