旅のあれこれ


有栖川宮熾仁親王

幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。

 天保6年(1835年)年2月19日、有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第一王子として生まれる。

 嘉永4年(1851年)、熾仁親王は17歳の時に孝明天皇の妹和宮親子内親王と婚約。

 安政7年(1860年)、大老井伊直弼や関白九条尚忠らの運動により和宮は将軍徳川家茂と結婚させることになった。

 元治元年(1864年)7月19日、蛤御門の変(禁門の変)。有栖川宮父子は謹慎・蟄居を申し渡された。

 慶応3年(1867年)1月9日、明治天皇が践祚。有栖川宮父子は謹慎を解かれた。

 慶応3年(1867年)12月9日、王政復古の大号令。熾仁親王は総裁に就任する。

 慶応4年(1868年)4月12日、遊行寺は東征軍有栖川宮大総督御宿泊所となる。供奉員は西郷隆盛

 明治元年(1868年)、大倉喜八郎は有栖川宮熾仁親王御用達となり、奥州征討軍の輜重にあたる。

 明治4年(1871年)、福岡藩知事。

 明治10年(1877年)、西南戦争の際にジェーンズ邸は有栖川宮熾仁親王の宿舎となる。

 明治22年(1889年)、陸軍参謀総長。

 明治28年(1835年)1月19日、61歳で薨去。

 明治36年(1903年)10月10日、千代田区三宅坂旧参謀本部(現:憲政記念館)構内に有栖川宮熾仁親王の銅像を建立

憲政記念館

(東京都千代田区)

有栖川宮熾仁親王の銅像

有栖川宮記念公園(東京都港区)

遊行寺

(神奈川県藤沢市)

ジェーンズ邸

(熊本県熊本市)

ジェーンズ邸

(熊本県熊本市)

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