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川田順ゆかりの地

佐々木信綱の高弟。住友総本社常務理事。

 東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。なお八雲の後任教授は夏目漱石

 明治15年(1882年)1月15日、東京市浅草区三味線堀に生まれる。

 明治40年(1907年)、大阪の住友総本店に入社。

 大正15年(1926年)3月、山口誓子は大阪住友合資会社の本社に入社。上司は歌人の川田順。

 昭和5年(1930年)、住友総本社常務理事に就任。

 昭和11年(1936年)、住友総本店を退職。

 昭和21年(1946年)秋、松山市宝厳寺にあった木彫の一遍上人像を拝す。

 昭和29年(1955年)10月、山口誓子は川田順を訪ねる。

 昭和30年(1955年)、別子銅山を訪れる。

 昭和41年(1966年)1月22日、死去。

   川田順氏弔句

殘る吾寒に手ちぎれ足ちぎれ

『一隅』

 昭和42年(1967年)、「大阪府立図書館五十周年賀歌」碑建立。

一遍上人を讃える長唄

遊行寺(神奈川県藤沢市)

府立図書館五十周年賀歌

大阪府立中之島図書館(大阪府大阪市)

川田順の歌碑

宗像神社(愛媛県新居浜市)

川田順の歌碑

大山祇神社(愛媛県新居浜市)

川田順の歌碑

宝厳寺(愛媛県松山市)

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