2020年鹿児島

鶴観察センター〜碑巡り〜
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出水市荘に鶴観察センターがあるというので、行ってみた。

 鶴と言えば丹頂鶴で、釧路だと思っていた。鍋鶴を見て、初めは鶴だと思わなかった。

大岳水一路の句碑があった。


  やまなみは
空への渚
  鶴引けり

大岳水一路は本名守一郎。

 この俳句は1986年3月、当地での作。出水平野の鶴の北帰行を詠んだもの。紫尾山系を渚とし大海原へ旅立つ鶴への惜別の句。句碑は紫尾山をかたどっている。

 作者大岳水一路は、鹿児島県が生んだ俳人。郷土を愛し一途に自然を詠むことに精進し、その普及に生涯をささげ「鶴の水一路」とも呼ばれ多様な句を残す。

平成25年(2013年)12月14日、建立。

平成26年(2014年)9月、逝去。

渡りのルート

 ツルたちは遠いシベリアや中国東北部で春から夏にかけてヒナを育てます。秋になると、暖かい南方で冬を越すため、約1ヶ月かけて朝鮮半島を経て南下し、10月半ばから12月にかけて続々と出水までやってきます。

 ツルたちの多くは家族で行動し、ヒナに餌の取り方や危険から逃れる方法を教えています。まだ家族を持たない若いツルは群れて行動し、外敵から身を守ったり、つがい相手を探したりします。ツルたちは田んぼの二番穂や草の根、昆虫などを食べ、渡りのエネルギーを蓄えます。

 そうして冬を過ごしたツルたちは2月から3月にかけて天気の良い日に天高く舞い上がり、再び繁殖地である北の地へ帰って行きます。

稲畑汀子の句碑もあった。


空といふ自由鶴舞ひやまざるは

『汀子第二句集』収録の句。

 空という自由があればこそ、鶴は舞って止むことはない。私は今、その鶴の翼に乗って空を舞っている思いである。

 稲畑汀子は、昭和6年(1931年)、横浜市に生まれた。祖父高濱虚子・父高濱年尾に俳句を学ぶ。俳誌「ホトトギス」の主宰、日本伝統俳句協会を設立し、その会長等、昭和・平成の俳壇を代表する存在である。

 この句は昭和56年(1981年)1月17日、この地で詠まれたもの。また、この句碑は、平成25年(2013年)12月14日に建立され、碑面は自筆を刻んだものである。

平成25年(2013年)12月14・15日、稲畑汀子は出水市で九州大会。

出水市鶴観察センター展望所


鶴の大群に驚いた。

山口青邨の句碑


満月を
上げたり鶴を
見る人に

昭和44年(1969年)11月23日、午前6時に詠まれた句。

昭和48年(1973年)2月4日、出水市米津笹川童船建立。

吉岡禅寺洞の句碑


土古く渡来の鶴を歩かしむ

吉岡禅寺洞は福岡県生まれの俳人。名は善次郎。

昭和36年(1961年)3月17日、71才で歿。

昭和42年(1967年)1月、前原誠建立。

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