これにて我等の細道の旅終りを告げる、金が崎古城の中程のお茶屋で、夜汽車までのひま潰しに、牛鍋で一盃傾けた、其時南朝新田方の勇士海上三里を泳ぎ渡つたが、此下の磯にでも上つたか、此處は要害の切處だが、いざ落城となれば袋の鼠で逃げ場なからう、皇子方はいたはしかつたと、語る語る眠くなり、さし入る小春の日影あたゝきに手枕して、同行二人、思ひ思ひの夢に入り去る、あすは東京に着くばかり。
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月見御殿から敦賀湾を見下ろす。

海抜86メートル、金ヶ崎の最高地だそうだ。
鳶が舞っていた。

元亀元年(1570年)4月、織田信長は朝倉義景討伐を企て越前に攻め入った時、お市の方が信長に届けた「小豆袋」で近江浅井氏の裏切りを知る。
その時豊臣秀吉は金ヶ崎城で殿(しんがり)を務めたのである。
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元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は金ヶ崎を訪れている。
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初鴈や海に出向ふ金ヶ崎
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享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴い金ヶ崎を訪れている。
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金が崎には新田將軍の昔を語り、天筒の峯は月に便よく、安玉の清水の歸帆を見をろす。野坂道口春によろしく冬におかし。佳景ひとつとして手を打ておどろかざるはなし。熊澤氏の何某すぐられたる十題に、
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道口行人
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浮沈む笠や霞のみちの口
| 無外
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金崎晩鐘
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明六つや紅葉碎けて金が崎
| 居士
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明治42年(1909年)10月16日、河東碧梧桐は金ヶ崎城跡に上った。
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午後の汽車で福井を出発した。古蛄同行してこの地に着き、車を列ねて気比神宮に詣で、金が崎城址に上って、沖の漁火を見ながら、往昔を語った。熊谷迫。
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