横田柳几

『二笈集』


 延享4年(1747年)の夏から秋にかけて陸奥に行脚した鴻巣の柳几、名古屋の白尼の紀行集。白尼は暑湿で仙台に留まり、柳几のみが象潟まで旅をした。

白尼は尾張名古屋の人。巴雀の子。

寛延2年(1749年)、刊行。反喬舎巴雀序。

     首途之吟

   我いまた公私の世務に遁れかたき身なから旦に松島を
   こひ夕へに象潟をしたふ事とし久しく尾符(ママ)の夜話主と
   文通にうなつき合てことし丁卯の夏其さそひ神の無分
   別にとるものとりあへす故翁の紀行を懐にしてさみた
   れの日数も立しまふ暁わか柴門を立いつる事にそ有け
   る

島わたる翅に涼し笠二蓋
柳几

   名古屋より木曽の山踏したる長途の杖笠を冬青舎に休
   る間もなくかねて書音にいさなはれたる奥羽の方にま
   た旅立けるか柳子はわれより年若けれは道のたよりも
   いとたのもしくて

若竹に杖あらためむ旅まくら
白尼

   岩船山にて

まづ舳先見るや若葉の浪間より
柳几

   此山の地蔵尊に詣て裏坂越に往還へ出るこの日は水無
   月朔日なりけり

山下ておもひ出しけり氷室の日
白尼

   東照宮を拝し奉りて

神風の薫や瑠璃の宮はしら
柳几

   裏見の滝にて

涼しさの裏見出しけり滝の奥
柳几

葛もいま若葉そ滝のうら表
白尼

   殺生石にて

石暑し指さへさせぬ昼最中


   与一扇の的を射し弓矢を奉納せし八幡宮に詣て

むかしおもふ膝に扇や神のまへ


   頼政の紅葉も能因法師か秋風も都より長途をふる事を
   読れしが我国よりはその境わつかなからけふや旧望の
   足る事のうれしくて

しら川やけふまねき出す若楓


   翁の尋ね残されし花かつみを糺さむと沼のほとりを
   かなたこなたと見めくれと更にそれそとしるへの草
   もなくたゝ折から咲るものには

かつみとは猶おほつかな華あやめ


   駅路の右手に浅香やまあり無下に過んも口おしけれは
   かの山の井をたつねのほりて

今もその影や浅香の山清水


   安達原の岩窟を一見して

黒塚に姫百合さきぬ君か代は


   毛知須利石 三章

黒塚に姫百合さきぬ君か代は
虎杖

姫百合もうつふき連や信夫摺
柳几

松の葉もこほすや石の忍ふ摺
白尼

   佐場野の里医王寺をたつね判官殿のむかしをとふて宝
   物を拝むに安宅の関の有さまそまつ思はるゝ

爰にまた笈さがさはや土用干
白尼

   飯阪の温泉に入て

萍の身や湯壷にも尻ためず


   義経の腰かけ松にて

緋おとしのゆかりや松に凌霄花


   伊達の大木戸を過るとて

大城戸の跡やまもりて華茨


   名にあふ武隈の松竹駒明神の辺にあり二木の松と
   もいへり

風薫れ松のふた木を鳥居とも


   笠島の道祖神にぬかつきて此たひ行脚の御礼を申奉る

幣にとる紅葉もいまた若みとり


   壷ノ碑

石暑し指さへさせぬ昼最中


石ふみを水にもうつせ田草とり


   千賀の塩かまは名のみ残りてその跡たしかならすされ
   とも数百の民家軒を並へ漁村の詠も殊に目出たし

塩竃の跡も賑はふ蚊やりかな
白尼

   野田ノ玉川

玉河の玉やくだけて飛螢


    船中ノ吟

   松島は笑ふかことしといへる翁の詞も眼前なれは

涼しさの浪に笑はぬ島もなし
柳几

   浮巣にかよふ島の手配
白尼

   沖ノ石   矢はた村といふ民家の背戸に有

麦の穂の浪は刈れて沖の石
柳几

   各両雅士へ挨拶

      はし書事繁れはもらす

汲て嘸奥の清水の清(スミ)にこり
白英

 柳に汗を入る馬下り
白尼

涼しさをはしめてかはす扇かな
東鯉

 笑ひもおなし夕顔の友
柳几

夕顔に蕣まての旅寝せよ
可耕

 笠のよこれも老の鶯
白尼

濁をも葛にかくすやおくの水
丈芝

 木陰に尋あたる日盛
白尼

   仙府の人々にもてなされて旅窓の日数ふりけるに此
   ほと夜話主は山ふみの暑湿にあたりて類痢の床に苦し
   みけるか流石に針薬の便りも所からにして姉妹の介抱
   よりもいとむつましなから肥立の達者はてしなくそ見
   えけるされはわれはとし頃湯殿羽黒へ大願あれはそこ
   の連衆に白子を預ヶてけふや羽州の方へ趣むくかへり
   来る日はわつかなから隻鳬の思ひ胸にせまりて爰に暫
   時の名残をおしむ

めくり来る日まて倒るな立あふひ
柳几

   山形領立石寺は聞しにまさる清閑の地にして西谷ひか
   し谷その外山の仏閣ことことく順礼して佳景寂寞た
   る岩窟に入てしはらくこゝろをすます

あら淋し浮世の音もわすれ草
柳几

   湯殿山の麓本導寺の西蔵坊に着てはしめて垢離勤行に
   入

垢離とつて心の塵やしゆろの花


   是より先達刑部か後へに付て岨をつたひ羊腸をめくりて
   積雪の嶮難をしのきあるは鉄鎖をたくり肌につめた
   き汗を流して三山を拝す

 湯殿山

雪踏てあつき涙の湯殿かな


 月山

   笹小屋といふ所に臥て殊更に草臥ぬれは爰に奉納の句
   なし

 羽黒山

下闇をあつめて凄し羽黒山


 鶴岡

   かねて慕はしき風草主人をたつねて旅笠をぬく

舞ふて来た羽織に涼し鶴か岡
柳几

   つかれも夏の旅馴し笠
風草

   是より象潟は寸眸の間に見渡さるれは心も飛島の名に
   うかれて十余里の浜つたひしまつ吹浦の納涼を試んと
   海畔に彳みて

吹浦にのこる暑もなかり鳧
柳几

 象潟

   良医金氏に案内せられて汐越の橋下より船を入て九十
   九森八十八潟を漕めくる

蚶潟や唐絵の中を秋の雲


   蚶潟より又酒田へ取て返しけれは例の人々待うけも
   てはやされかの青楼の風流なと見物させられ文月六日
   袖か浦の名残を引わかるゝとき

星よりは一朝はやき別かな
柳几

   それより最上川を舟に乗て白糸の滝を過る文月七日の
   吟

鵲はたのまじふねの最上川


織姫の筬を貯てや滝の糸


   ふみ月十一日仙府へ帰りまづ夜話主か全快に安堵し羽
   州の風交予か留主中の俳事なと語り合て互に悦ふ事に
   そ有ける

白坂を越て二所か関を過るとて

関の名もやわらく御代や萩薄
白尼

境の明神は陸野両国の鎮守にて鳥居も立双ひたり

世の秋を寝ものかたりの宮居哉
柳几

   芦野ゝ里なる道野辺の清水に西上人の俤もゆかしくそ
   の木陰に我も彳て残暑を凌く

肌寒ふなる迄たつや柳かけ
柳几



  諸国集韻

   春の部

動てはのひのひ柳かな
   尾張 五条坊

七草の野や酢味噌にはまだ寒き
    野有

手廻しもひとへははやし梅の花
   伊勢 玉之

紅梅や染る手間ほど咲おくれ
   越後 桴仙

物いわぬ中うつくしき雛かな
    許虹

大根畠荒にし志賀のわか菜哉
   尾城 巴雀

   夏の部

芍薬に蝶も廿日のねふり癖
   美濃 五竹坊

青桐の雫しほるや蝉の声
   近江 千梅

竹の子の脱日もまたす更衣
   尾張 以子

ほとゝきす明て見たれは聾谷
   越中 椅彦

萍や水いさかひを逃て咲く
   加賀 若推

はつかしき山の端もありけりけふの月
   加賀 見風

   秋の部

星合や柳も眉をとらぬ内
   伊勢 麦浪

稲妻や摺違ふたる鐘の声
    二日坊

かきつはた男はふるし田うへ笠
    雲理坊

  (ママ)
   冬の部

鐘ひとつ撞てはかゝむしくれ哉
   加賀 希因

鷹かくす馬を牽せて枯野哉
 麻父

   四季混雑

名月や百日紅を照返し
武州 江都
 宗瑞

やめは降り人にあかれぬ時雨哉
 馬光

脇息は肱にたはむ歟けふの雪
    鳥酔

ゆふ涼こゝろに鷺のしみる迄
    秋瓜

松原へ落こむ音や天の川
    門瑟

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