ひぢり沢よりから沢などいへる長き坂を上るに、此比に(の)寒さに衣をかさねたるがやゝあつき心地すれば、立場の茶屋にいこひて衣ぬがんとするに、道のほとりに麻の上下きて出てひざまづくものあり。誰ぞと問へば、此山の上なる熊野権現の神主なり。をのがやどりに案内して昼のやすみとらせんといへど、けふは熊野権現の祭とて太々講とかや、社をむすべるものよりつどひて、神楽をすゝめ酒のみ物くふさまみゆれば、人だち多き所にまじはらんもうるさく、やうやうにすかしこしらへて権現の社にもまうでず、峠の立ばにもいこはずして行過ぬ。
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伊達政宗の発句
慶長19年(1614年)4月末に峠を登ってきた政宗は「夏木立花は薄井の峠かな」と詠んだ。
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しげの屋

しげの屋も県境にある。
元祖ちから餅を買う。
碓氷峠の力餅のいわれ
中山道最大の難所である碓氷峠を越える旅人が道中安全を願い熊野神社にお参りした際、護符として餅が授与された事が力餅の始まりと伝えられる。
また、「碓氷貞光の力餅」とも呼ばれる。碓氷貞光は、源頼光の家来の四天王(他、坂田公時、卜部季武、渡辺綱)の一人で、熊野神社の社家に生れたと伝えられる。
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日向見温泉「御夢想の湯」は、日向守碓氷貞光の夢まくらに童子が立ち、四万の病脳を治す霊泉を教えたという伝説から名付けられた古湯。
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しげの屋の眺望

昭和2年(1927年)8月18日、永井荷風は碓氷峠に登り、熊野権現に参拝している。
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猶登り行くこと二十分はが(ママ)りにして峠のいたゞきに達す、左の方に熊野權現の古祠あり、華表殿堂古色蒼然たり、皇族下馬の高札を立てたり、禮拜して後尸祝に請うて厄除けの護符を購ふ、祠前細徑を隔てゝ平坦の地あり、見晴の台と稱す、
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見晴台へ行くと帰りが心配なので、旧中山道を下る。
黄 葉

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