上信越自動車道松井田妙義ICから県道51号松井田下仁田線を行き、五料で国道18号に入る。 |
火成岩が冷却固桔するとき、亀裂を生じ、自然に四角または六角の柱状に割れたものである。 |
刎石坂には多くの石造物があって、碓氷峠で一番の難所である。むかし芭蕉句碑もここにあったが、いまは坂本宿の上木戸に移されている。 |
弘法大師が刎石茶屋に水がないので、ここに井戸を掘ればよいと教えたと伝えられている霊水である。 |
刎石山の頂上で、昔ここに四軒の茶屋があった屋敷跡である。今でも垣が残っている。(力餅、わらび餅などが名物であった。) |
寛政4年(1792年)10月5日、栗庵似鳩は信濃に旅立つ。13日、刎石の茶屋で休む。 |
是より坂にかゝりて、此の難所伝の嶮岨、半過て刎石の茶屋に休むに、彼今朝より道行人の待合ていさ是よりハ道も平か也、噺もて行て我宿へも寄せんとそ、是にて御師なる知りぬ、されと名乗なは留杖障せん事ハ、此峠にも風雅の道弘かりて、かねてハ可参由の伝もあれは、弥々事に寄て跡に下りぬ。 |
木々皆かれて誠碓氷の峠かな | 似鳩 |
享和2年(1802年)4月3日、太田南畝は刎石から坂本宿へ。 |
はんね石といふ所には石多し。観音あり。風穴などいへる谷々をこえて赤土坂を下り、松木坂を下りゆけば左に鳥居あり。坂本の駅につく。 |
文久元年(1861年)11月9日、皇女和宮は羽根石で小休、坂本に宿泊した。 |
昭和35年(1960年)、水原秋桜子は碓井峠茶屋本陣を訪ねている。 |
碓井峠茶屋本陣 二句 蚕飼(こかい)時牡丹を雨に打たせあり 蚕を飼へば大名の間も蚕のにほふ
『旅愁』 |