二日坊宗雨

『みち奥日記』

indexにもどる

 津の俳人二日坊宗雨の宝暦13年(1763年)2月23日から4月23日までの紀行文。

江戸まで(2月23日〜3月8日)

年比、心にかけぬる吾妻の空も、かりそめの一歩より、末しら川のはるけくて、やゝ暮近き老の望過ぬと、諌るもあれと、思ひ立ぬることの、無下にやミなんも本意なく、宝暦十三年未の衣更着や二十三の曙、さらは草の戸を出ると、いふになりて、聊おとろくに似たり

身のうへや土になるなら花のもと
   二日坊

巴凌も、つき添ハんと、旅装いかめしく、つくる

あとを又見かえる山やはつ桜
   巴凌

たれかれ、上野迄送りて、たかいに物言かねて別る

道のはしめハ、すくなきをよしとて、四日市に泊

二十四日

桑名の麥士亭に遊ふ

春もまた掘出しのある炬燵かな
   坊

二十五日

朝、舟にのる、風あらく、舟を沖にとゝむ

二時計、ミな眠居たり、風ハ猶ふとりて、もしや死ぬへく思けれは、經なんと讀む

やうやう人皃のわかぬ比、宮に着ぬ

二十六日 尾張の笠寺、三河の八はしの跡を尋ねて

紫の先つなつかしき菫かな
   坊

稲代や八橋かけて疇(うね)つたい
   凌

二百八間の矢剥の橋に、はしめて、目をさます

燕や矢剥のはしを一文字
   凌

二十七日

二村山と聞へしハ、法蔵寺のうしろの、かたなり、国府の才二翁、とゝめらる

二十八日

汐見坂の景色、ゆくもかえるも、時を移しぬ

   東風吹や松にかゝれる浪の花

遠江の荒井逸文に宿す

二十九日

あら井の渡し、天竜川、ゆへなくこゆ

東海道五十三次新井渡船ノ図


三月一日

日坂に時ならぬ汗をしほる。夜啼の石ハ昔より是を動さすと言り

石も昼ハ山の笑いにまきれけり
   坊

哀なるもの、八挺鉦。しほらしきハ馬追ふ者の命也けり。小夜の中山の歌、覚へたる也

大井川見るも心くるしきに、やかて川越の頸筋にまたかれとせむ

解て來る雪ハおそろし大井川
   坊

冴かえる我も童部や肩車
   凌

駿河の嶋田に宗長の庵あり。軒たハミ、垣斜に崩る

二日

蔦の細道心ほそく、宇都の山、うつゝにこゆ。鞠子の宿のとろゝ汁ハ摺小木をもて招き、阿部川の水ハ乳もかくる。府中の志豆機山に淺間の社を崇たり

三日

男も女も、おしなへて髪のめてたらんをこそ、いつこも節句の姿也ける

つミて知る旅の日數や草の餅
   坊

袖志浦、三保の松原、清見寺、絵なんとに見たるさへ面白かりしか

天人の雛ハ見へぬか三保の松原
   凌

汐汲ぬ桶ハつれなき汐干かな
   坊

薩垂山、寺尾のあたり、物めつらかに思ハぬ都の人たにも飽かす詠めおれり

吉原にて不二に魂を奪る。頂の雪ハ髪を乱せるに似て、白雲おりに山の腰をかよふ

三国無双のこと、思ひあたりぬ。あへていふにハあらねと

との山も不二をもてなす桜かな
   坊

四日

伊豆の三嶋の宮居ものふりて、千貫戸樋ハ雲に川の音す也

相摸の箱根山にさしかゝる。俄に日のかき曇て、車軸を流し、雷の響キ岩石を碎く。足なえて、引ことあたハす。頼む小影にちゝまり居たり。やかて晴れわたりて、もとのことし。

天狗のわさとかいふ。御関所の前に笠をしかられ、賽の河原に石をつむ権現の道、日もかくれて、たしかならす

朧月のほそほそと湖水に落たる、えも言ハれぬ淋しきに、梟の声おとつれて、風雅の膓を断つ

五日

温泉に立よりて、頭陀袋にいためたる肩を忘れたり

小田原の麥由のもとに泊る

六日

鴫立沢の春さへも物淋しきに、秋を思ひやられぬ

鴫立て跡も濁さぬ汐干かな
   凌

藤沢の遊行寺に参る

七日

江の嶋、舟にて渡る、上の宮下の宮、龍穴ハむかし龍神の住ける所となん。怪岩老樹あに仙界の思をなす

尊さや枝にも數の玉つはき
   坊

腰越の星、七里か濱、袖の浦、横手原を鎌倉の始として、星月夜の井、初瀬寺大仏鶴岡の八幡宮、建長寺の名のミ女童部のたとへことにもいふ、扉破れて嵐に動き、石疊ハ木の葉に埋る

花鳥ハ昔のまゝそ建長寺
   坊

八日

吉田橋より武蔵の地也

六郷は水辺にして

品川を駅の名と知るへし

江 戸(3月9日〜16日)

九日

江戸に入て、芝の梅林舎に草鞋をほとく

いそかしい中へふらりと藤の花
   坊

武士の馬の行ちかい、商人の車の駈はしること繁花の風土に並ふへきなく覚ゆ

愛宕山、増上寺泉岳寺の義士の碑に涙をおとし、御殿山の桜ハ今を盛なり

二腰をさすか御江戸の花見かな
   坊

下枝に狼藉もなし山さくら
   凌

十日

霞か関、両国橋、回向院、浅草寺にて

鰐口や百囀りのうけこたへ
   坊

十一日

淺茅か原、鏡か池、角田河をうち渡りて、木母寺にしはらく昔語を聞く

梅うへてなとあるへきを柳かな
   坊

今にまたミたれ心の柳かな
   凌

梅屋敷


梅屋敷、亀井戸五百羅漢、深河の蕉翁の古墳

春の日や塚も杖つく垣の影
   坊

十二日

神田社聖堂、飛鳥山、王子稲荷、日暮里より暮て、此夜ハ傳馬町の中条に移る。夜半より、けしからす悩む

十三日、十四日

物もくらハて、たゝ前後も知らす寝る

十五日

すこし人心地す

十六日

湯嶋東叡山を拜し、因ミありける院に罷りて、園中の花王を見る

甚五郎も香にハ及ぬ牡丹哉
   坊



白川まで(3月17日〜24日)

十七日

此ほとのいたハり、末にいたる迄も介抱の厚き志より思ひ立ぬる奥へ出ることになれり

人々に命もらふて花に又
   坊

花の宿ふりかえり又振返り
   凌

草加といふ所に宿る

けさまてハ栄耀の土地にありて、今宵ハ物うらめしき寝覚也ける

友たちに成て寐させぬ蛙かな
   坊

十八日

坂東太郎ときこへたる刀祢川を越ゆ

兵の名に馴染たる小鮎かな
   坊

下総の中田より筑波山を右になし、下野の小山に高田の別道を尋て、御本坊に宿す

雨つよく雷はためきわたれとも、心つよし。十九日の夜也

廿日

如來堂、祖師堂、御墓、般舟石、唯目にさへきる所、御恩の広大なることを思ひて、南無阿弥陀仏と唱ふはかりにて、句なんと作るへき余念もなし

宮村の草庵の旧跡、姥か井、今猶殘れり

若草にほろりと落る涙かな
   坊

桜町、眞岡、桑嶋と里つゝきて、宇都の宮に出つ

神橋と山内


二十一日

四里の松に四里の杉をたとりて、日光の御山也

町ハ御普請の旅宿とて、さゝめき渡る

朱塗の橋、流れにうつろへは、から紅に青葉の影をましえて、峯の山吹も小金の光を添ふ夜ハ、観音院に寐る

二十二日

東照大権現の御宮に参詣し奉る

誠や、結構といふも恐あるへし、書とゝめまほしくおもへとも

矢立なとゆるさねは、かひなし

おさまれる杉の木末や春の風
   坊

陽炎を見るも尊し日の光
   凌

黒髪山をはるかに詠て、不生といふ里に泊る

二十三日

那須の篠原をたとりて大田原に出つ

二十四日

芦野をはなれて、かの柳陰に立とまる

西行の目にかゝりたる柳かな
   坊

関の明神たゝせ玉ふ。是より陸奥也なと白川の関も咎す

出女のとまれとまれや花の暮
   坊

松島まで(3月25日〜29日)

二十五日

大隈川を見る

二十六日

雨風はけしくて、本宮に泊る

遊女あまたなミ居て、うとふ唱哥ひとつふたつ書とゝむ

   君にうらミハ天にほし

      地には眞砂の数よりも

   親ハいちこに子はもと宮に

      さくら花かよちりちりに

我なとも越後の国より賣られて來たりといふ

三味線に涙のあとやちる桜
   坊

二十七日

きのふにおとらす降る

二十八日

五十辺より文知摺石を見に、桑畑を分入る

尽せしな蝶々の羽も忍ふ摺
   坊

判官の腰懸松ハ奇異の古木也

義經を言出し草や松の花
   坊

おもかけや松に藤咲く下
   凌

伊達の大木戸ハ莇の花の猛く、蕨の手のいかめし

下紐の関を尋ねもとむれとも知る人なし

廿九日

甲冑堂、鞍破坂、憚の関を過く

春風や涼ミに嘸名取川
   凌

行春や川にとらるゝ名も持たす
   坊

長町より国分寺にかゝり、宮城野、壷の石碑ハ今年迄千二百年にあたる

塩竈明神の石階二百余、履物をゆるさす

この千賀の浦より松島迄三里のあいた、舟をかよハして、八百八島を詠む。実も日本第一の風景にて、拙き筆をさし置く

五大堂


五大堂の橋ハ罪ある人えわたらす

国守の御舟蔵を見物す

されは、二百

余里のおほつかなき道をこへて、甲斐ある浦のありさま、爰に死すとも可也

松島やけふ計なる春を見る
   坊

佐野まで(4月1日〜10日)

四月朔日

瑞巌寺ハ雲居禪師を中興とす

御島より舟を呼ふ。潮ハまた早けれはとて、船を引て海の中をあゆむ。泥のうへなれは、すなをにハ來らす、出羽武藏の国の人々と乗合す。物語の声の棒のやうなれと、聞とりかたき中にも、島の景色の言習らハせて、時々かハるとなん。されは絵なんとにもうつしかたし

松島や人も夜の間に更衣
   坊

子規との島かけて初音そや
   凌

はや帰国の思ひ先たちて、わか友とちと語る迄の

命のほと恙なかれと、不定の世を頼ミぬるも、はかなし

塩竈の里にあかりて、牛石、神代の塩釜を尋ね、野田の玉川末の松山ハ、道糸筋のことく別て、案内を雇ふ

青愛の浪や越すかと松の末
   凌

仙臺に泊る。壱里を六丁にさたむ

三日

越河の関は、句を書て通る

四日

安達か原を過て、温石町といふ駅あり

温石をとふ人もなし夏衣
   坊

五日

安積山は松先つ目にたちぬ

裾めくる清水むすはん淺香山
   凌

六日

能因法師、源三位頼政の言の葉を思ひ出て

日黒ミもいさ白川の戻り道
   坊

七日

佐久の山、喜連川、早乙女坂ハゆかしき名也

近付の声さへ淋しかんこ鳥
   坊

八日

宇治江、白沢、宇都宮迄、軒毎に藤を引はへたり。其よしを聞て、有かたくそ覚ゆ

灌仏や藤とハ長ひ心はせ
   坊

九日

岩舟の地蔵尊を拜まんと、岩を踏て苔にすへり、木の根をとらえて、岨をつとふ

岩舟や藤の浪さく夏木立
   凌

十日

左濃といふ里に勢至堂あり。世に稀也

善光寺まで(4月11日〜14日)

十一日

中瀬の渡しを過て、中仙道の本庄に出つ。上野の国赤木山ハ不二の姿なり

十二日

佐野ゝ宿、横川の御関、妙義山、唐画を見るにひとしく、奇峯たくひなし

絵にとめよ動すに居る雲の峰
   坊

碓氷峠


十三日

刎石なと、おそろしき山路をのほりて、碓氷峠といふに熊野権現の社あり

ぬかつくも涼し碓氷の神の前
   坊

をちこちの里とよめるハ經井沢と言に、信濃の国にもなりぬ

淺間か嶽の名そ高し

雲の峰につゝく煙や淺間山
   凌

十四日

追分より善光寺道へゆく。玄古の里こそ

煙草の名ところ也。

筑广川、犀川ともに手繰舟にて、猿の木つとふ姿にも見るへく、善光寺に詣て、父母に逢ひ奉る心す也

御仏にひかるゝ旅や木下闇
   坊

紫の雲とやうつる水葵
   凌

戒壇まわりといふこと、死出の思ひを観せよと也

故郷まで(4月15日〜23日)

十五日

卯の刻御開帳とて、御仏を拜むにもあらねと、おしあいて、たかひに念仏す。

何事のおハしますとハしらすなから、有難く、日中この世のいとま乞の心にふし拜て、稲荷山といふ駅迄そ出つ。

川中島といふハ、此間のことなり

十六日

姨捨山の観音堂に十三景を詠む。

雨さへ

降りて、殊に古今の哀を催す

姥石に啼て声のあり雨蛙
   坊

捨られた姥もかえたか苔衣
   凌

十七日

桔梗か原に草刈笛の音、嫋々と、いとめてたし

十八日

木曽の山路ハ、桜橋をはしめとす。

義仲の城跡、うしろに峨々たる山を帶ひ、前に洋々たる川をめくらす

鴬よ城跡とふハ老の役
   坊

城あとに声のこもるやかんこ鳥
   凌

福嶋の関は、女をかたくゆるさす

十九日

命をからむ蔦かつら、とありし八十間のかけはしも、今はたゝおもかけのミ

棧も蝙蝠の鳴く足の下
   坊

臨川寺に浦嶋太郎か釣舟石、寝覚の床と名つくる嶋ハ、工ミになせる假山のことし

寝覚の床


煙草火を寐覚の床の蚊遣哉
   凌

小野ゝ瀧、兼平か城あと、鳥もかよハぬ嶮岨なれと、運極る時ハ、主從同し近江の粟津の土にならんとハ思ひきや

廿日

麻古女峠の雄瀧雌瀧、十石峠を越ゆ。これより美濃国也。

夜坂にしはらく山も川も忘る。

二十一日

竹折の西行塚、いつミ式部の廟、またもや十三峠はてしなく覚ゆ。

名古屋へまいらすして、舟の便よしとて、今渡といふ所に泊る

犬山城


廿二日

朝日の丈はかりものほる比より舟にのる。名に

あふ木曽の大河也。

犬山の城高く、関をかまへて、船中の人をあらたむ。

さかしまに流るゝ所に膽を冷し、しつかに行く時ハ、疊のうへよりも安し。

岐阜山円城寺、北縣、笠松を右と左に見る

舟しやとて寐せても置す行々子
   坊

申の刻はかりに、十八里の所を難なく桑名に着く。

先つ物いふことの、手のうらを返すに似たり。

二十三日

また明やらぬに立出て、日永の里にミやけやうのものを買ふ

ひとりまへ風のおさまる団扇哉
   坊

白子、上野そこそこにあいしらいて、塔世の橋を渡る比ハ入相の鐘そきこゆ。

扨しも住なせし古郷

とも思ひさためかたくておかしきに、夜ふくるまて山海の障なく、又痩骨の無事なるをよろこひに、したしき人あつまる

わか宿も夜の短ひハちかハぬそ
   坊

おもしろや蚊にも噺をせゝらるゝ
   凌

二日坊宗雨に戻る