2004年群 馬

伊香保温泉〜碑巡り〜
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「村松旅館」から石段街をさらに登る。


若い人が多いのに驚いた。

ポケットパークに金子兜太の句碑があった。


小鳥来る全力疾走の小鳥も

小鳥は秋の季語。

大空に又わき出でし小鳥かな  虚子

金子兜太は現代俳句協会名誉会長。

さらに石段街を登ると、「岸権旅館」がある。

「岸権旅館」に村上鬼城の句碑があった。


春の夜のふけてあふるゝ湯壺哉

 右の句は境涯の句を詠んで古今独歩の俳人と称された村上鬼城が大正15年4月17日当伊香保温泉浴蘭楼岸権旅館に1泊の際詠まれた鬼城代表作の1つである。

昭和46年6月1日 建碑者 岸権三郎

 「岸権旅館」は天正4年(1576年)創業という老舗旅館。伊香保温泉の開湯は400年前というから、伊香保温泉開湯以来の旅館なのだろう。日帰り入浴はできない。

「岸権旅館」から石段街をさらに登ると、「福一」がある。

「福一」も創業400年という老舗旅館。日帰り入浴もできるようだ。

石段街の終点は伊香保神社。

伊香保神社は延喜式内社

伊香保神社に芭蕉の句碑があった。


初時雨猿も小蓑を欲しげなり

『猿蓑』の冒頭句。

元禄2年(1689年) 9月下旬、芭蕉46歳の作。

 芭蕉が『奥の細道』の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷上野へ帰る途中に伊賀街道の長野峠で詠んだものとされている。

横に「安永7年(1778年)戊戌初冬雪才建之」と書いてある。

裏には白兎園宗瑞と白眼台雪才の句が刻まれている。

てればふし張りほどつつや時雨傘   白兎園宗瑞

 宗瑞は中川氏、通称三郎兵衛。初号風葉、別号白兎園。延享元年(1744年)7月30日、60歳で没。

のつそりと月のみている時雨かな   白眼台雪才

 雪才は、よく分からない。『広茗荷集』に蓮華寺の雪塚を「現住上人白眼台雪才建之」とあるから、蓮華寺の住職であったようだ。「蓮華寺」も「雪塚」も今はない。

万葉の歌碑もあった。


伊香保ろの八尺(やひろ)の堰塞(いで)に立つ虹の顕(あらは)ろまでもさ寝をさ寝てば

『万葉集』(巻第十四)の東歌である。

この歌の歌碑は水沢観音にもある。

現代俳句の句碑もあった。


夏燕温泉街を逆落とし

真砂女

真砂女は鈴木真砂女のことらしい。

平成15年(2003年)3月14日、96歳で老衰のため死去。

江戸期の俳人の句碑もあった。


七日づゝ変はる顔あり窓涼み

東海坊烏明

 東海房烏明は、別号松露庵三世、木耳(もくじ)庵。鳥酔門。享和元年(1801年)6月19日、76歳で没。門人に加舎白雄がいる。

文政8年(1825年)6月、東海坊素龍建之。

先師いづれの年にや爰に遊びて窓すゞみの吟あり。予もことし此地に浴して懐旧の思ふかく其章を石に鐫(きざみ)て不朽となすも恩にむくふはしくれならむ

文政八年乙酉歳林鐘東海坊素龍建之

 素龍については分からない。元禄7年初夏、芭蕉は決定稿の成った『おくのほそ道』の清書を素龍に托し、最後の旅に持参したそうだが、これはもちろん別人である。

小林一茶も伊香保温泉を詠んでいる。

伊香保根や茂りを下る温泉(ゆ)[の]煙

『寛政句帖』(寛政4年)

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