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富春山と号し、臨済宗妙心寺派。 寛文9年(1669年)、織田正直が海部郡富田からこの地に移して再興し、僧江天を開山とした。本尊の聖観音像は、宋銭を集めて鋳造したといわれる。寺内に熱田四観音の一つといわれる観音堂があってその評判が高く、俗に「澤の観音」とも呼ばれていた。また当寺の後園から南西の眺望は、名古屋三景の一つに数えられ、昔は文人墨客が往来よく訪れたといわれる。
名古屋市教育委員会 |


| 旅亭桐葉のぬしこゝろさし淺からさり |
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| けれハしはしとゝまらんとせし程に |
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| 此うみに草鞋(わらんぢ)すてん笠しくれ |
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貞亨元年(1684年)10月、芭蕉は『野ざらし紀行』の途次名古屋熱田の桐葉亭に草鞋を脱ぐ。41歳の時である。 |
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「今日まで草鞋を足に、時雨に濡れつつわびしい旅をつづけて来たが、ここの海に草鞋も捨て、時雨を凌いだ笠も捨てて、しばらくこの家に旅の身を休めることにしよう」の意。 桐葉の厚意に対する挨拶をこめた句であるが、「しぐれ」という季語がかなり本質的なものとして句に生かされてきている。「捨てん」を上下にかけて興じているが、ことさらめいたものでないだけに素直に趣を感じとることができよう。あるいは「草鞋を捨てん」の方が推敲後の形かとも思われるが、一気に言いおろす「草鞋捨てん」と興じた句勢も捨てがたいものがある、 『皺筥物語』・『熱田三歌仙』(『皺筥物語』と同文の前書)・『幽蘭集』に連句として所収、脇は「剥くも侘びしき波のから蠣―桐葉」。『蕉翁句集』・『芭蕉句選拾遺』には「熱田にて」前書して、中七が「草鞋を捨てん」とある。『笈日記』には「芭蕉翁、十年余りも過ぎぬらん、いまそかりし比、はじめて此の蓬莱宮におはして、此海に草鞋を捨てん笠時雨、と心をとどめ、景清が屋敷も近き桐葉子がもとに頭陀をおろし給ふより……」と掲出。貞亨元年旅中の作。 「桐葉」は林七左衛門。熱田の門人。芭蕉を厚遇したので、芭蕉はここに滞在しようとしたのである。「この海に」は桐葉亭が海に近かったのでこういったもの。「草鞋捨てん」は旅の身をしばしここに留めようの意。「<笠しぐれ」笠に降りかかる時雨。上の「捨てん」はこの「笠」にもかかっている。 |

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井上士朗は尾張守山の人。加藤暁台の門人。「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と俗謡にうたわれたそうだ。 |


