俳 書
『芭蕉翁發句集』 (上) ・ (下)
(蝶夢編・安永5年刊)
安永5年(1776年)5月、蝶夢自序。750余句を集録。
寛政元年(1789年)7月、再版。
芭蕉翁發句集 下
本間主馬が宅に骸骨どもの笛鼓をかまへて能する所を畫て舞台の壁に抄(カケ)たりまことに生前のたはぶれなどか此遊びにことならむやかの髑髏を枕として終に夢うつゝをわかたざるもたゞ此生前を示さるゝものなり
全昌寺にとまる曙の空ちかう堂下に下るを若き僧共紙硯をかゝへて追來る折ふし庭の柳散りければ
枕引寄せて寝たるに一間隔て若き女の聲二人ばかりと聞ゆ年老たる男の聲も交りて物語するを聞けば越後の國新潟といふ所の遊女なりし伊勢参りするとて此關まで男の送り來れるなり
更科山は八幡といふ里より西南に横をれて冷じく高くもあらずかどかどしき岩なども見えずたゞあはれ深き山のすがたなりなぐさめかねしといひけむもことわりに知られてそゞろに悲しきに何ゆゑにか老たる人を捨てたらむと思ふにいとゞ涙も落ちそひければ
氣比の明神に夜參す往昔遊行二世の上人みづから土石を荷ひ泥濘をかわかせて參詣往來の煩ひなし
戸をひらけば西に山あり伊吹といふ花にもよらず雪にもよらず
又玄が妻もの事まめやかに見えければかの日向守の妻髪を切て席をまうけられし事も今更に申出て
柴の庵と聞けばいやしき名なれども世にこのもしき物にぞ有ける此歌は東山に住みける僧を尋ねて西行のよませ給ひけるよしいかなる住居にやとまづその坊のなつかしければ
淺水の橋をわたる俗にあさうづといふ清少納言の橋はと有て一條あさむづと書ける所とぞ
いにしへの常盤が塚あり伊勢の守武がいひける義朝殿に似たる秋風とはいづれの所か似たりけむ我もまた
那谷寺は奇石さまざまに古松植ゑならべて殊勝の土地なり
去来が許より伊勢の紀行書て送りけるその奥に書付けける
尊さに皆押合ひぬ御遷宮
兄の守袋より取出て母の白髪拜むに浦島の子が玉手箱汝が眉もやゝ老たりとしばらく泣く
冬
桐葉のぬし心ざし淺からざりければ暫とゞまらむとせし程に
熱田に詣づ社頭大にやぶれ築地はたふれて草むらにかくる
三秋を經て草庵に歸れば舊友門人日々に來りていかにと問へば答へ侍る