芭蕉の句

薬欄にいづれの花をくさ枕
| 細川春庵亭にて |
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| 薬欄にいづれの花をくさ枕 | 翁 |
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| 荻のすだれをあげかける月 | 棟雪 |
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| 鈴木与兵へ |
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| 爐けふりの夕を秋のいぶせくて | 更也 |
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| 馬乗ぬけし高藪の下 | 曾良 |
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元禄2年(1689年)7月8日(旧暦)、高田の医師細川春庵を訪れた時の句である。 |
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○八日 雨止。欲レ立。強而止テ喜衛門饗ス。饗畢、立。未ノ下刻、至ニ高田一。細川春庵ヨリ人遣シテ迎、連テ来ル。春庵へ不レ寄シテ、先、池田六左衛門ヲ尋。客有。寺ヲかり、休ム。又、春庵ヨリ状来ル。頓而尋。発句有。俳初ル。宿六左衛門、子甚左衛門ヲ遣ス。謁ス。
『曽良随行日記』 |
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「ここは医師の家のこととて、薬草園が営まれ、折しも秋のこととてくさぐさの薬草はみな花をもっている。さて自分は、今宵ここに旅寝するのであるが、この薬園のどの草花を枕として引き結んだらよいであろうか」という意。 医家に宿ったので、亭主棟雪(春庵)に対する挨拶を薬草の縁で詠んだものである。即興的な作であるが、詩句は洗練されている。 『曾良書留』・『奥細道菅菰集』付録(「同国高田の細川春庵亭にて」と前書)・『金襴集』に、この句を発句とする連句四句までを掲出。脇は「荻の簾をあげかける月―棟雪。『俳諧衆議』には脇までを掲出。『みとせ草』は「医家人」と前書して発句のみ収める。風徳『芭蕉文集』書入れには、「陸奥・出羽の名処々々を見めぐりて、猶北海の荒磯を伝ひ、高砂子歩み苦しき越の長途に、多病いと疲れて、高田よいふ処にいたる。此の境に良医棟雪何某とかや、風雅の聞え遠く伝へたるを尋ね入りて」と前書がある。A href="http://urawa0328.babymilk.jp/haijin/hakusensyuu2.html">『泊船集』(「越後の國高田医師何かしを宿として」と前書・『西の詞』(「薬苑」と前書)・『蕉翁句集』には「上五「薬園に」とあり、『雪丸げ』(「細川青(ママ)庵亭にて」と前書)・『奥の枝折』は、この句形で連句を掲出、『芭蕉句選』は「越後国高田何がしにやどりて」と前書し、上五」「薬園の」と誤る。『随行日記』によれば、元禄二年七月八日の作。 |

| 薬欄にいづれの花をくさ枕 |
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| 文月や六日も常の夜には似ず |
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天和3年(1683年)5月、大淀三千風は高田で20余日の間滞在。細川春庵棟雪のもてなしをうけている。 細川春庵邸は、現在の上越市仲町4丁目4番1号、高田駅前通りと仲町通りの交差点の東南の角にあるTAKADA556ビル付近にあったと考えられているそうだが、表示等はない。 |
