街 道北国街道


雨宮の渡し

屋代から国道403号で須坂に向かうと、途中に「雨宮渡跡」があった。


「雨宮渡跡」


鞭聲粛々夜渡河
   鞭声粛粛夜河を渡る

暁見千兵擁大牙
   暁に見る千兵の大牙を擁するを

遺恨十年磨一剣
   遺恨なり十年一剣を磨き

流星光底逸長蛇
   流星光底に長蛇を逸す

頼山陽の真筆「川中島合戦」である。

川中島合戦と雨宮渡

 雨宮渡は、往時北国街道の要衝にあって、千曲川渡船場として川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった。

 史上名高い川中島の戦いは、天文22年(1553年)から永禄7年(1564年)までの間に、戦いは5回あった。その最大の激戦が永禄4年(1561年)の9月9日夜半、上杉謙信は敵武田信玄の策略を事前に察知し、人馬ともに鞭声粛々とこの雨宮渡を渡り川中島に兵を展開し、主力同士の戦いが両雄一騎打ちで知られる第4回の八幡原の戦いである。

 今は当時の要衝雨宮渡も時変り星移るにつれて、千曲川の流れも北に移り、昔時をしのぶよすがもない。これを地元先覚者は惜しみ、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の直筆を得てここに碑を建立し、渡河地点を保存す。

信州千曲市

昭和43年(1968年)、水原秋桜子は雨宮の渡しを訪れている。

関ケ原を訪れている。

  川中島

  千曲川、雨宮の渡し

雲雀鳴き越軍渡河の跡空し

『殉教』

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