幕末・維新ゆかりの地



御手洗の街並み〜金子邸〜

御手洗の街並み


金子邸

慶応2年(1866年)1月、坂本龍馬の仲介で、長州藩の桂小五郎と薩摩藩西郷隆盛との間で薩長連合が成立し、反幕の勢力は強大となり、もはや天下の形勢は旧幕府の体制ではどうにもならなくなりまた。広島藩も薩長土肥の各藩と連けいして、この動乱に処していくことになりまた。慶応3年(1867年)11月25日、長州軍は家老毛利内匠指揮のもとに奇兵、遊撃、整武、鋭武、振武、贋懲、第二奇兵の7隊が2隻の軍艦に分乗し、汽船鞠府号に先導されて三田尻を出帆し、26日夕方御手洗に来着しました。広島藩からは、これと会合するために、諸兵総督、岸九郎兵衛以下お歴々や少壮志士が兵を率いて、24日、汽船震天丸に乗って出帆し、御手洗で長州軍の来るのを待っていました。そしてこの金子邸で長州との約定が結ばれ、その夜(翌朝)震天丸を先発として、長・芸の倒幕軍は京阪へ向けて出発しました。これが有名な御手洗条約です。

坂本龍馬、中岡慎太郎などの志士も度々来島し、密談を行っていたといわれています。

これより先、風雲急を告げつつあった維新の動乱に備えるため、御手洗の「ながめの鼻」に「御台場」(砲台)にも据付けられました。

金子邸は修繕中だった。

「御手洗条約」は、知らなかった。

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