旅のあれこれ


幕末・維新ゆかりの地

 安政3年(1856年)11月、篤姫は第十三代将軍徳川家定の正室となる。

 安政5年(1858年)7月6日、家定が急死。

 安政5年(1858年)7月16日、斉彬が死去。

 万延元年(1860年)3月3日、桜田門外の変

 文久元年(1861年)10月20日、皇女和宮は十四代将軍家茂に降嫁するため、京都を出て、11月15日に江戸に着く。

 文久2年(1862年)3月16日、島津久光は兵を率いて鹿児島を出発、4月16日、京都に着く。

 文久2年(1862年)4月23日、「寺田屋騒動」

 文久3年(1863年)5月11日、下関戦争。

 文久3年(1863年)6月、高杉晋作は奇兵隊を結成。

 文久3年(1863年)7月2日、薩英戦争

 文久3年(1863年)8月16日、教法寺事件。高杉晋作は奇兵隊總督を免じられた。

 文久3年(1863年)8月18日の政変(七卿落)。

 元治元年(1864年)6月5日、「池田屋騒動」

 元治元年(1864年)7月19日、蛤御門の変(禁門の変)。

 元治元年(1864年)7月22日から24日にかけて、三条実美、三条西季知、四条隆謌、壬生基修、東久世通禧の五卿は御手洗の竹原屋(庄屋)に滞在。

 元治元年(1864年)7月23日、朝廷は幕府に対して長州追討の勅命を発した。

 元治元年(1864年)12月15日、高杉晋作は功山寺で挙兵。

 慶応元年(1865年)3月10日、新選組は屯所を壬生から西本願寺に移した。

 慶応2年(1866年)1月21日、坂本龍馬の仲介により京都の小松帯刀邸で薩長同盟締結。

 慶応2年(1866年)1月23日、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は伏見奉行に襲撃され、九死に一生を得た。

 慶応3年(1867年)10月14日、大政奉還。

 慶応3年(1867年)11月15日、坂本龍馬は中岡慎太郎とともに近江屋で暗殺された。

 慶応3年(1867年)11月26日、御手洗の金子邸で長州・芸州間の倒幕の密約(御手洗条約)締結。

 慶応3年(1867年)12月9日、王政復古の大号令。

 慶応4年(1868年)2月、浅草本願寺で「彰義隊」を結成。

 慶応4年(1868年)3月1日、小栗上野介は権田東善寺に隠棲。

 慶応4年(1868年)3月14日、田町薩摩邸で「勝・西郷会談」。

 慶応4年(1868年)閏4月6日、小栗上野介は水沼村烏川原にて斬首。

 慶応4年(1868年)5月1日、白河小峰城落城。

 慶応4年(1868年)5月15日、彰義隊の戦い。

 慶応4年(1868年)8月11日、横手の戦い。

 慶応4年(1868年)8月21日、母成(ぼなり)の戦い。

 慶応4年(1868年)8月22日、十六橋の戦い

 慶応4年(1868年)9月8日、明治と改元。

 明治元年(1868年)9月11日から9月27日まで荘内軍関川口最後の激戦。

 明治元年(1868年)9月22日、若松城開城。

 明治2年(1869年)5月11日、土方歳三は箱館の一本木関門(現若松町)付近で戦死。

 明治2年(1869年)9月4日、大村益二郎は京都で数人の暴漢に襲われ、11月5日死去。

桜田門

(東京都千代田)

田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)

(東京都港区)

蛤御門

(京都市上京区)

長州藩邸跡

(京都市中京区)

佐久間象山・大村益二郎遭難之碑

(京都市中京区)

酢屋

(京都市中京区)

池田屋騒動之址

(京都市中京区)

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地

(京都市中京区)

薩摩屋敷之址

(京都市中京区)

角 屋

(京都市下京区)

寺田屋

(京都市伏見区)

御手洗

(広島県呉市)

金子邸

(広島県呉市)

天保山公園

(鹿児島県鹿児島市)

「旅のあれこれ」に戻る