寛永17年(1640年)、三代将軍家光は日光東照宮参詣の折に慈恩寺で昼食をとっている。 |
元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどり、松島を訪れる。23日、慈恩寺などを見歩く。 |
明れば岩附の城下。長宮といふに。知る人ありて尋ね行く。主案内して。淨國寺。久尹豆。慈恩寺。大光寺。などいふを見歩く。大光寺に。昔義經。奥州下向の時。辨慶が水鏡見し池が有り。其傍に柳の大木が有り。辨慶此池に姿をうつし見。楊枝を爰にさしたるが。根のつきて如此といふ。斯る事は。國々に云傳へたる事多けれども。させる證も無き事のみ多し。更に眞とも思ひなさず。 |
文化14年(1817年)、十返舎一九は『金草鞋 十編』(坂東順礼之記)で慈恩寺の事を書いている。 |
八幡より市川、松戸、新宿、それより奥州街道へ出て、草加、越谷、粕壁をうちすぎて岩槻道へはいり、岩槻の慈恩寺へまいる。第十二番千手観音、慈覚大師の作、本堂ハ十三間四面なり。御詠歌 |