2015年佐 賀

臥龍ヶ岡公園〜芭蕉の句碑〜
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佐賀県鹿島市浜町庄金の浜川沿いに臥龍ヶ岡公園がある。


臥龍ヶ岡公園(城の上の金毘羅さん)

 浜橋のたもとから高い石段を登った丘陵の先端に「城の上の金毘羅さん」と呼ばれる境内があります。広場中央の事比羅神社の社殿は昭和60年の再建ですが、もとは香川の金毘羅大権現を祀って建てられたもので、舟津地区の船乗りが厚く信仰し、海難防止などの祈願をしたところです。当時は石段の下から参拝が直接できるように、船着場が造られていたといいます。

 また地元では、境内一帯を「城の上」とも呼んでいますが、これは鎌倉時代の中頃に藤原長門守貞光が砦を築き、これを臥竜城と名付けた事に由来します。貞光の先祖は、もと筑後国原村(現原鶴)出身ですが、承久の乱で功を立て、神崎郡と佐賀郡に領地を得ました。のち貞光の代になって浜に臥竜城を築き、城のかたわらに累代の菩提所となる原山知恩寺を創建したと伝えられます。その後、原氏の臥竜城は伊土岐(多良糸岐)の城主松尾氏に攻められ、度々の合戦の末に焼失してしまいました。また、知恩寺は江戸初期に八宿に移転し、跡地には泰智寺が建立されました。

鹿島市

事比羅神社


事比羅神社の裏に芭蕉の句碑があった。


名月や門にさしこむ潮かしら

出典は『泊船集』

元禄5年(1692年)8月15日、新芭蕉庵の名月を詠んだ句。

『三日月日記』には「門にさし来る」、『芭蕉句選』に「門へさし來る」とある。

大正9年(1920年)8月、建立。

芭蕉の句碑の左に支考の句碑があった。


雁の聲おぼろおぼろと何百里

出典は『ありそ海・となみ山』(浪化編)。

いせより江府へまかるころ」と前書きがある。

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