当寺は菅原道真公が信心こめて手ずから刻まれた国宝十一面観世音菩薩像を御本尊とする古義真言宗の尼寺です。 仏法に帰依される処深かった聖徳太子がこの地に尼僧の寺院を建立されるに当り、代々仏教文化導入に積極的であった土師という人が邸宅を寄進し、東西320米、南北640米の広大な境内に五重の塔、金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成をみました。 これが当寺の前身土師寺で、その後菅原道真公に依って道明寺と呼び改められる処となり、数多くの仏像、教典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。土師氏の後裔菅原道真公が大宰府に下向されるとき、叔母の覚寿尼を訪ねて当寺に立ち寄られ一首を残されています。 啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の 鳴からむ里の暁もかな 戦国時代に入り、高屋の兵乱に当寺も焼失しましたが、之を惜しむ織田信長、豊臣秀吉、徳川代々の将軍家等の庇護によって復興成り、朱印地に認められました。 明治5年神仏分離令に従って堂宇一切を天満宮境内より移し、境内の拡張を経て大正8年には本堂の落成をみ、多宝塔を加え 建立以来千三百年法灯絶ゆることなく、少ない尼寺として現在に至っております。
道明寺 |
貞亨5年(1688年)4月、芭蕉は道明寺・藤井寺を巡る。 |
誉田八幡にとまりて、道明寺・藤井寺をめぐりて、つの国大江の岸に舎る。いまの八間屋久左衛門あたり也。
貞亨5年4月25日、猿雖(惣七)宛書簡 |
寛政7年(1795年)4月3日、一茶は道明寺を訪れている。 |
寺は道明寺と云。わづか行ば玉手山、尾州公の荼毘処あり。竜眼肉の木ありて、此かいわいの景地也。艮(うしとら)の方にかづらき山見ゆる。折から遊山人処々につどふ。 初蝉や人松陰をしたふ比(ころ) |
平成7年(1999年)7月、伊藤柏翠より『花鳥』主宰を継承。 平成9年(2001年)4月、『ホトトギス』創刊100年、『花鳥』創刊50年を記念して句碑建立。 |