小林一茶ゆかりの地


『西国紀行』

 寛政7年(1795年)1月8日、一茶は讃岐から伊予に向かい、15日、松山の栗田樗堂を訪ねた。

   乙卯歳旦

於専念精舎

今日立春向寺門   々々花開愈清暾

入来親友酌樽酒   豈思是異居古園

   元日やさらに旅宿とおもほへ(え)



 土居、島屋と云はたごやに宿。八里也。人々は金比邏参とて相宿のすだく〔に〕つけても、君が世のありがたさは、きのふや今日までは松かざりのありしが はや、

   出て見れば我のみならず初旅寝



 十日、二里半ほど、新浜、騎龍亭に泊。

   帳閉(とづ)る加勢もせずに旅寝とは

 十一日、八里程と覚。中村と云所に泊る。

 十二日、四里、今治、卯七を訪ふに、公のさはりあれば、又半道、波止浜、花雀亭に宿。

   御出肆ながら春宵千金ぞ

 十三日、槌(樋)口村などいへる所を過て、七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひけるに、已に十五年迹に死き〔と〕や。後住最明寺宿乞に不許。前路三百里、只かれをちからに来つるなれば、たよるべきよすがもなく、野もせ庭もせをたどりて、

   朧々ふめば水なりまよひ道

百歩ほどにして五井を尋当て、やすやすと宿りて、

   月朧よき門探り当たるぞ

 十四日、十丁程、八反地村、兎文に泊る。

   門前や何万石の遠がすみ

 歌仙満巻して、

 十五日、松山二畳庵に到る。

 魚文かたに、素堂・芭蕉翁・其角の三福対のあれば、訪ふ(う)て拝す。

   正風の三尊見たり梅の宿

 累日風交して、探題、

   猫飼ずば罪作らじを雀の子

   春の雨倦もはてなで糸車

 二月朔日を小正月と云て、雑煮の仕納となん、此地のならひ也。

   召仕新しき哉小正月

道後温泉の辺りにて

   寝ころんで蝶泊らせる外湯哉

 五日、松山を出て三里、三津浜方十亭を主とす。

 九日、人々と共に小深里の洗心庵に会。前文略。

   汲みて知るぬるみに昔なつかしや



 十九日、波止浜を出て六里、中村に泊る。明日、村より十丁程、実報寺の桜見にまかるに、今を盛なれば、壱樹(ひとき)ざくらと云。

   遠山と見しは是也花一木

   並桜遥拝す人をてらす哉

 廿日 四里、大町はたごやに泊る

 廿一日 雨、逗留のつれづれに昼寐して

   起て見れば春雨はれず日も暮れず

   桃の明スサ切男眠気也

 廿二日 伊曽野、都英子と折から雨後のさくらのちりぢりなる神社に参りて、

   拝上頭に花の雫かな

 四里 津のあみだ堂に泊る

 廿四日、半道程田上影香舎に泊る

   長閑や雨後の縄ばり庭雀



 九日、藤戸、天柄木などいへる所を過て、備前岡山に至ル。此地に風流好るものゝありといへ共、派違なれば尋ねず、城下一里離れて、二本松に泊。

 十七日、明石より兵ごの道連あれば、夜道して、同行二人、頻に眠気催れば、軒をかりて、

   笠の露眠むらんとすれば犬の声

 寛政7年(1795年)3月27日、一茶は四天王寺に詣で句を詠んでいる。

 廿七日、天王寺に詣。

   蝶一ッ舞台せましと狂ふ哉

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