私の旅日記2010年

韮神山〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

村田町沼辺韮神の国道4号柴田バイパス沿いに韮神山がある。


 ここは奥州街道が通っていたところで、韮神山はこの道に臨み白石川に面する奇岩怪石の山で、文治の役の古戦場でもあり、その景観は昔からここを通る多くの人たちの旅情をなぐさめました。

 昭和56年4月、国道4号柴田バイパス工事に係る事業のため、山の一部が失われましたが、昔の面影が残っています。

 山の上には多くの黄韮が自生していたので、住民がこれを山の神の霊としてあがめ、このことから韮神山の名が生まれました。

 元禄2年(1689年)5月4日、芭蕉は白石から韮神山の麓を通り、岩沼に向かった。

芭蕉の句碑があった。


鶯の笠おとしたる椿可南

出典は『芭蕉翁全傳』

 元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。

 百歳子は西島百歳。伊賀上野の門人。藤堂新七郎家の五郎左衛門良重の子。蝉吟の甥にあたる。

弘化3年(1848年)、大河原の俳人村井江三建立。

大河原町の繁昌院に村井江三の墓がある。

藤原実方の歌碑もあった。


やすらはでおもひ立ちにしみちのくのありけるものははばかりの関

万治元年(1658年)2月の建立という。

憚りの関は、平安時代韮神山の下の東街道(後の奥州街道)にありました。

展望台から蔵王連山が見える。


韮神山は「みやぎ蔵王三十六景」のひとつ。

 関は

 逢阪の関。須磨の関。鈴鹿の関。くきだの関。白川の関。衣の関。ただこえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそ覚ゆれ。

『枕草子』(一〇七段)

私の旅日記2010年〜に戻る