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ここは奥州街道が通っていたところで、韮神山はこの道に臨み白石川に面する奇岩怪石の山で、文治の役の古戦場でもあり、その景観は昔からここを通る多くの人たちの旅情をなぐさめました。 昭和56年4月、国道4号柴田バイパス工事に係る事業のため、山の一部が失われましたが、昔の面影が残っています。 山の上には多くの黄韮が自生していたので、住民がこれを山の神の霊としてあがめ、このことから韮神山の名が生まれました。 元禄2年(1689年)5月4日、芭蕉は白石から韮神山の麓を通り、岩沼に向かった。 |

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元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。 百歳子は西島百歳。伊賀上野の門人。藤堂新七郎家の五郎左衛門良重の子。蝉吟の甥にあたる。 |


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関は 逢阪の関。須磨の関。鈴鹿の関。くきだの関。白川の関。衣の関。ただこえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそ覚ゆれ。
『枕草子』(一〇七段) |
