芭蕉の句碑宮 城


鶯の笠おとしたる椿可南

大河原町字町の白石川沿いに繁昌院という寺がある。


吉祥山繁昌院


慶長10年(1065年)、開山。

曹洞宗の寺である。

山門を入ると、右手に芭蕉の句碑があった。


鶯の笠おとしたる椿可南

出典は『芭蕉翁全傳』

 元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。

 元禄2年(1689年)5月4日、芭蕉は白石から奥州街道を白石川沿いに下り、岩沼に向かった。

 弘化3年(1848年)、大河原町の俳人村井江三はこの地を通った芭蕉翁を偲び韮神山の山裾に芭蕉の句碑を建立。その模刻である。

『海内俳家人名録』に「江三 別号一日庵 奥州大河原駅 村井氏」とある。

繁昌院に村井江三の墓がある。

一日庵江三(村井兵治)の墓

 寛政8年(1796年)、大河原町本町生まれ。江戸時代後期の著名な俳人で、幼少より学問を好み、各地の俳句会に招かれ、その選者として活躍した。その足跡は仙南地方に止まらず、仙台から山形一円にかけて残っている。辞世の句「さいはいやことしの花も見尽志て」

尾形家の墓


 江戸から昭和初期にかけて、町の経済・文化の指導的役割を果たした尾形家の墓地。尾形丁や六沼新田を開発した安平、詩人亀之助などの代々の墓碑は、俳人高浜虚子の揮毫になるものである。

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