元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。 元禄2年(1689年)5月4日、芭蕉は白石から奥州街道を白石川沿いに下り、岩沼に向かった。 弘化3年(1848年)、大河原町の俳人村井江三はこの地を通った芭蕉翁を偲び韮神山の山裾に芭蕉の句碑を建立。その模刻である。 |
寛政8年(1796年)、大河原町本町生まれ。江戸時代後期の著名な俳人で、幼少より学問を好み、各地の俳句会に招かれ、その選者として活躍した。その足跡は仙南地方に止まらず、仙台から山形一円にかけて残っている。辞世の句「さいはいやことしの花も見尽志て」 |
江戸から昭和初期にかけて、町の経済・文化の指導的役割を果たした尾形家の墓地。尾形丁や六沼新田を開発した安平、詩人亀之助などの代々の墓碑は、俳人高浜虚子の揮毫になるものである。 |