芭蕉ゆかりの地



土芳稿『芭蕉翁全傳』

文化元年(1804年)12月5日、遠藤曰人は土芳稿『芭蕉翁全傳』を書写。

蓑虫翁直筆之寫 蕉翁全傳抜書 曰人寫之

芭蕉桃青先生ハ元此国ノ生ニシテ、松尾氏忠右衞門ト云。仕官ヲ退テ後甚七ト改メ、身ヲヒソカニ取テ、洛ノ北村季吟老ニヨリ、誹諧ヲ楽ミ、宗房ト呼ルゝ事年久シ。

○寛文十二子ノ春、東武ニ下リ、名ヲ桃青トス。其住居、始小田原町、後深川ノ軒ニ芭蕉ヲウヘ、はせを庵ト号ス。是ヨリはせをノ翁トモ人モテハヤシ侍ル也。小田原町ノ頃ニヤ、世上誹諧イヤシク乱テ、名ヲ談林風ト云アヘリ。此時モ先生ハ人ノ先達シテ、時ノ人感ズル句アマタ有。ソノ半、旧里ヲ訪ウトテ、延宝四辰ノ夏旅立出テ、途中ニ富士ノ吟有。

   山のすかた蚕が茶臼の覆かな

六月廿日頃此里ニ入テ親族旧友ノ悦ビニ止リ、シバラク京ニモ立越、又戻リ、文月二日武江ニ帰ラル。



△貞享元年子ノ冬ヨリ此国ノ逼(逗)留。九月八日ノ夜尾張ノ駅ヨリ此所ニ移、四五日ノ[脱文]ヲハリニ戻ラレ、臘月廿五日ノ夜又此所ニ入テ歳暮ノ吟アリ。

△同二年丑ノ年二月下旬迄逼(逗)留。二月中頃ヨリ薪ノ能見るトテ奈良ニ□□京ニ行、三井秋風ガ別野(墅)ニ遊ビ、大津ニ渡リ、弥生中頃ヨリ又ナゴヤニ出ラル。

   改旦 誰が聟ぞ歯朶(に)餅負ふうしの年

   子の日しに都へ行かん友も哉

   旅烏古巣は梅に成にけり

此句ハ作影亭ニテ梅烏ノ画屏ヲ見テノ作也。是ニ歌仙有。是ニ哥仙有。

命二ツ中に生たるさくら哉

是ハ水口ニテ土芳ニ玉ル句也。土芳此年ハ播广ニ有テ、帰ル頃ハはや此里ヲ出ラレ侍ル。ナヲ跡ヲシタヒ、水口越ニ京ヘ登ルニ、横田川ニテ思ハズ行逢ヒ、水口ノ駅ニ一夜昔ヲ語シ夜ノ事也。明の日ヨリ中村柳軒ト云醫ノモトニ招レテ、又此句を出シ、廿年来ノ旧友二人[脱文]挨拶シタリト笑ワレ侍る。蓮花寺ト云寺ニ折フシ伊賀ノ大仙寺ノ嶽渕あり。各昼夜四五日談じテ、発句アリ。哥仙有。又多賀何某ト云老醫、翁ニ旧キ因(ヨシミ)有。モテハヤシ有。是ヨリナゴヤヘ出ラレシ也。

△同四年卯ノ冬、年末ヨリ逼(逗)留。丑の夏ヨリ後、寅卯カケテ武江ニアリ。卯ノ冬、トシノナゴリノコロ、此里ニ入テ、年ヲコシ、歳暮ノ吟アリ。

   ふる里や臍の緒に泣としの暮

私曰 歳暮、代々の賢キ人々モ故郷ハ忘ガタキモノニ覚侍ヨシ。我今ハ始ノ老モ四とせ過て、何事ニツケテモ昔ノナツカシキマゝニ、ハラカラノアタマヨハヒカタブキテ侍ルモ見捨堅クテ、初冬の空ノ打時雨ゝ頃ヨリ雪ヲ重ネ霜ヲ経テ、師走ノ末伊賀ノ山中ニ至。猶父母のイマソカリセバト、慈愛ノ昔モ悲ク、思ウ事のミアマタアリテ、ふる里やゝゝゝゝゝゝ

曰人考、年号十月朔日ヨリ元録元ニ改る

同五年辰ノ三月中旬迄逼(逗)留。此春武蔵野ノ僧宗波、ミノ国杜国来る。宗波逼(逗)留なし。杜国ハ名ヲ万菊と改、逼(逗)留ス。○大和龍田に行、八重霞之句アリ。先生、万菊ヲ供にシテ伊勢ニ詣。○子良舘ノ句アリ。瓢竹庵ニ休息ス。万菊も一ツニ旅寐ス。○弥生中頃ヨリ、二人吉野ノ花ニ思ヒ立、先コノ国ノ田井ノ庄、兼好ノ跡ヲ尋、吉野ヨリ南京ニ出ラル。伊賀ノ誰彼モ奈良ニ行アヒテ暫クあり。是ヨリ万菊ト二人須广・明石ヲアルキ、京ニ出、五月廿日頃ヨリみのゝ鵜飼見有テ、直ニ武江ニ帰ラル。○万菊ハ京ヨリ翁ニ別レテ獨伊賀ニ立(寄)、猿雖方ニ四五日休テ、六月廿五日、是モみのゝ国へ戻ル。

 ○元日昼迄いねて曙見はづしぬ

二日にもぬかりハせじな花の春

春たちてまだ九日の野山かな

   ○此句正月九日風麦ニ會シテノ吟也。

香に匂へうにほる岡のうめの花

   ○此句ハ土芳庵ニテノ吟也。

あこくその心もしらずうめの花

   ○此句ハ風麦ニテ會の時出(ル)句吟也。

枯芝やまだ陽炎の一二寸

手鼻かむ音さへ梅の盛哉

 ○藥師寺月並初會

初桜折しもけふハ能日なり

 ○探丸子の別墅の花を

さまざまの事思ひ出すさくら哉

丈六の陽炎高し砂(ママ)の上

かげらふや俤つゞれいしの上

此二句ハ阿波の庄大佛に行ての句也。両句の内、再吟シテ後、丈六のかたにきハまる。

 ○瓢竹庵ニテ

花を宿に初終りやは廿日ほど



 ○よし野に立し朝、笠の書付

よし野にて花を見せふぞ檜木笠

○同行二人乾坤無(住)、風羅坊・万菊丸トアリ。万菊も

よし野にて我も見せうぞ檜木笠

元禄二年巳九月ヨリ霜月末迄逼(逗)留。辰の冬武江ニ帰リ、又巳ノ三月末ヨリ松島ニ旅立、直ニ九月始伊勢ノ遷宮ニ詣、万菊・路通・卓袋ニ別レ、二三日ノ後李下ヲ連テ此境ニ渡リテ、霜月迄逼(逗)留アリ。初冬曽良又来リ、少アリテ東ニ別ル。奈良ノ隣ノ時雨哉ト云句アリ。霜月末ヨリ路通ヲ供シテ御祭見ニ出ラレシヲ、伊賀ノ二三子猶シタヒ行、南都ニ再會ス。少て後、路通ヲ連大津ニ出ラル。○路通、いざ詫ん菊の句アリ。

私考曰、[△−○]路通・卓袋ニアイ、是ヨリ皆イガニトアレバ、万菊ハ一度岐阜ニ帰テアトヨリト、川崎舟さし、急出テ後、終ニ来ラズ。扨久居ニ逢人アリトテ。。。

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也



同三年午ノ正月ヨリ卯月迄逼(逗)留。又冬の内暫アリ。正月始ヨリ二月迄在テ、二月中頃参宮、何の(木)の花ともの句あり。猶下向シテ逼(逗)留。卯月ヨリ膳所ニ、此度は幻(住庵)ニカクレ、冬又此地ニ見ヘテ、年ノ末ハ大津ニ在。

鶯の笠おとしたる椿哉

○此句西島氏百歳子ノモトニテノ事也。二月六日歌仙一巻有。

陽炎や柴胡の糸のうす曇

土手の松花や木深き殿造り

   ○此句ニテ橋木子ニテはいかい有。

雲雀鳴中の拍子や雉の聲

畑打音やあらしのさくら麻

○此句木白興行ニ一折有。三月十一日荒木白髪(髭)ニテノ事也。

木の本ハ汁も膾もさくら哉

   ○此句風麦子ニテはいかい有。

似あハしや豆の粉めしにさくら狩

芋種を(ママ)花の盛をうりあるく

   ○此句ニ四吟かせん有。

一里ハ皆花守の子孫かや

蛇くふと聞バおそろし雉の聲

○此二句ハ膳所ニ行トテ出ラレシ道ヨリ、モノニ書付テ半残方迄見セラレシナリ。

きりぎりすわすれ音になくこたつ哉

   ○此句ハ初冬、氷固宅ニテ□在□□。

△四未の年、正月初ヨリ三月末迄。正月初ニ大津ヨリ見得テ、薪ノ頃ハ二三人誘引シテ奈良ニ行、又立戻リ、猿雖東行旅立ヲモ見送り、三月末、大津ヘ又出ラレ、冬の頃迄爰カシコニ渡リ、粟津ヨリ霜月始武江ニ帰庵アリ。桃隣供ス。神も旅寐の吟、此時也。○風麦方二句之内□□元禄元辰(ママ)

山里ハ万歳遅しうめの花

   此句橋木子の會の時(也)

月待や梅かたげ行小山伏

   ○此句ハ正月卓袋ニテ月待の時の句也。

こまかなる雨や二葉の茄子種

○此句百歳子ニかせん催サレシ時ノ句也。巻五句ニテ終ル。

不性さやかき起されし春の雨

山吹や笠にさすべき枝の形

○此山吹に一折有。人のフト参リタル時催サレシ也。二句トモニあか坂の庵ニ在□。初の庵の時也。



年々や桜[を]肥す花のちり

○此万乎別墅ノ桜見、三月廿三日の事也。一折アリ。

△同七年戌、初五月ヨリ六月迄、七月ヨリ九月迄逼(逗)留。未ノ冬武江ニ帰、申・酉[戌]ノ夏迄年ヲ重ネテ、卯(初)ノ五月廿九日尾張の方ヨリ此境ニ渡リ、六月膳所ニ行テ、魂祭ル頃又立モドリテ、九月ノ始迄在。其うちニ洛ヨリ惟然、いせヨリ支考、斗与平来ル事九月三日也従、熱田ヨリ(白)鴻ナド来ル。九月八日、支考・惟然ヲ供シテ難波ノ方ニ出ラル。是此所□□リナリ。○此別ノ時、兄老人坂口迄送リ出ラルニ、白頭持あげあげ、後(影)見ゆる迄見送出ラレシトナリ。

涼しさや直に野松の枝の(形)

○此句ハ閏五月十一日ノ夜、雪芝庵ニ遊テ、庭ノ松ノ物好モナク植タルヲ(興ジラレ)シ也。かせん有。

柴附し馬のもどりや田植樽

○此句ハ猿雖方ニ遊テノ事也。



稲妻や闇のかた行五位の声

○此句ハ文月ノ頃、雖子が方ニ土芳ト一夜カリ寐セラレテ、稲妻の題ヲ置、寐入ル迄二句ヲセヨトアリシ時ノ吟也。土芳モ、いなづまもどる雲のはし言句アリ。

風色やしどろに植し庭の荻

○此句玄虎子ニ遊バレシ時、庭ノ半ニ作ラレタルヲ云リ。表六句有。

家ハ皆杖に白髪の墓参り

○此句ハ盆會ノタメ兄ノ招レタルニ應ジテ膳所ヨリ参ラレテノ句也。

里ふりて柿の木持たぬ家もなし

○此句ハ望翠方ニ八月七日ノ夜會アリテ云出ラレシ也。かせん有。

名月に麓の霧や田の曇

名月の花かと見へて木綿畠

今宵たれよし野ゝ月も十六里

○此三句新庵の月見也。新庵を門人ニ見スルトテ多く招テ、各句アリ。

そばハまだ花でもてなす山路哉

松茸やしらぬ木のはのへばり付

○此二句ハいせの斗従が訪ひし時ノ事也。松茸ノ方よりかせん有。

行秋や手を廣げたる栗のいが

○此句ハ元膳所にて一折有。此巻ヲ此里ノ誹諧ノ終リ也。



顔ニ似ぬ發句モ出よ初桜

○此句ハ此庵ニ後猿蓑草案取扱ハレシ時、句ノシカタ、人ノ情ナド、土芳ト云出テ、フトヲモヒヨラレテ書付句也。

○遺艸の写、数多有。畧ス。しかし世ニ翫ビ、句ノ前書ナド違ヒタル真跡斗を記ス。

しかるに花の名だかきハ、先初花を急ぐなる、近衛どのゝ糸桜、見わたせば、柳さくらをこきまぜて、みやこハ春の、にしき散乱たり

花の雲かねハ上野か浅(艸)歟

北海の磯につたひ、まさごハこがれて火(のごとく)、水ハ涌て湯よりもあつし。旅懐心をいたましむ。秋の天いくかにな(りぬ)ともおぼへず。

あかあかと日ハつれなくも(秋)の風

なるミの駅に泊けるに、飛鳥井雅章□都をへだつるとよミてあるじに給ハせけるを見て

京までハまだ半空や雪の(雲)

いせの遷宮に詣侍らんとて、ミのゝ国□□出る時、送りける人々に申侍る。

はまぐりの二見にわかれ行(秋)ぞ

旅愁なぐさめかねて、ものうき秋(もや)ゝいたりぬれバ、さすがに目に見へぬ風の音づれもいとゞかなしげなるに、(残暑)なをやまざりけれバ、

あかあかと日ハつれなくも秋の風

はやこなたへと夕露の、むぐらのやどハうれたくとも、袖をかたしきて御とまりあれやたび人、

旅人と我名よバれん初しぐれ



五百里ノ旅路ヲヘテ、アツカリシ夏モ過、かナシカリシ秋モクレテ、古里ニ冬ヲ迎ヘ、山家ノ時雨ニアへバ、

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也



○ものいハでたゞ花を見る友もがなといふハ、何がし鶴亀が句也。我草庵の坐右にかきつけたるをおもひて、

ものいへバ唇寒し秋の風



大坂まで御状、忝拝見。此度南都之再會、大望生々の楽、ことばにあまり、離別のうらミ筆に不被尽候。わがたのもし人にしたる奴僕六にだに別れて、いよいよおもきもの打かけたる、我等一里来る時ハ人々一里可行や、三里過る時ハをのをの三里可行や、いまだしや。梅軒何がしの足の重きも、道づれの愁たるべきと、墨賣がおかしがりし事ども云々、石の上在原寺、井筒の井の深草生たるなど尋て、布留の社に詣、神杉など拝ミて、声ばかりこそ昔なりけれと詠し時鳥の頃にさへなりけるとおもしろくて、瀧山に昇る。帝の御覧に入たる事、古今集に侍れば、猶なつかしきまゝに二丁(ママ)五丁わけのぼる。瀧のけしき言葉なし。丹波市、ヤギと言所、耳なし山の(東)に泊る。

   時鳥宿かる頃の藤の花

と言て、猶おぼつかなきたそがれに、哀なるむまやに至る。今ハ人々旧里にいたり、妻子童僕の迎て水きれいなる水風呂に入て、足のこむらをもませなどして、大仏法印(事)の咄とりどりなるべき。市兵衛ハ草臥ながら梅額子に巻ひけらかしに可被行、梅軒子ハ孫どのにミやげねだられておハしけんなど、草の枕のつれづれにふたり語り慰ミて、[十二日、竹の内]いまが茅舍に入。うなぎ汲入たる水瓶もいまだ残りて、わらの筵の上にてちや酒もてなし、かの、布子賣たしと云けん万菊がきるものゝあたゐハ、彼におくりて過る。おもしろきもおかしきも、かりの戯にこそあれ、実のかくれぬものを見てハ身の罪かぞへられて、万菊も暫落涙おさへかねられし。

当摩(ママ)に詣で、萬のたつときも、いまを見るまでの事にこそあなれと、雨降出たるを幸にそこそこに過て、駕籠かりて太子に着く。誉田八幡にとまりて、道明寺・藤井寺をめぐりて、つの国大江の岸に舎る。いまの八間屋久左衛門あたり也。

かきつばた語るも旅のひとつ(哉)
   愚句

 山路の花の残る笠の香
   一笑

朝月夜紙干夜(板)に明そめて
   万菊

二十四句にて止



廿一日、布引の瀧にのぼる。山崎道にかゝりて、能因の塚、金龍寺の入相の鐘を見る。花も(ママ)ちりけるといひし桜も若葉に見へて又おかしく、山崎宗鑑やしき、近衛どのゝ、宗鑑が姿を見れバ餓鬼つばた、と遊しけるをおもひて、

   有がたき姿おがまんかきつば(た)

と心の内に云て、卯月廿三日京へ入る。

      右は京より猿雖かたへの返書也。

△蕉翁全傳云、ばせを翁ハ弥平兵衞宗清の裔孫にして、伊賀国柘植郷、日置(ヘキ)・山川の一族、松尾氏也。中頃の祖を百司某と言。父ハ与左衞門、母ハ伊豫国の産、いがの国名張に来りて其家に稼し、二男四女を生。嫡子半左衞門命清、其次ハすなハち翁也。正保元甲申の年、此国上野の城東赤坂の街に生る。幼弱の頃より藤堂主計良忠新七郎弟蝉吟に仕へ、愛寵他に異也。童名金作、後に藤七郎、又忠右衛門宗房と言。主従ともに滑稽の道に志深く、貞徳老人の流れ(汲)、洛の季吟・貞室、摂の宗因等に親ミ遊ふ事年あり。



翁の句ハ

   あち東風やめんめんさばき柳髪

   しばし間もまつやほとゝぎ數十年

   寐たる萩や容顔無禮花の皃

   時雨をやもどかしがりて松の雪

右各四季を記す。其後俳風の変化をしたゝ(らし)めん為也。

かくて蝉吟早世の後、寛文十二子の(春)二十九才、仕官を辞して甚七と改め、東武に赴く時、友だちの許へ留別、

   雲と隔つ友にや雁のいきわかれ

其頃ハミづから釣月軒とも称しけり。うぶすな上野の菅社(ママ)に奉納、貝おほひと名付し一書、三十句の中に、

   きても見よ甚べが羽織花ごろも

   めおと鹿や毛に毛が揃ふて毛むつかし

かゝる俗風の戯ども聞へしか。

誹名公糞(クニクソ)ト言ウ。薙髪して風羅坊トも号し、又夭々軒桃青とも呼ぶ。

江戸の杉風と(云者)後衰杖、この翁を師として仕へて小田原町に住しめ、後は深川(に)庵を結ぶ。一柳軒が編る書の中にハ、

   一時雨礫や降つて小いし川

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