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昭和61年(1986年)、黒羽では「芭蕉の里くろばね」のキャッチフレーズを定めて、「まちづくり」をしている。 「芭蕉の里くろばね案内図」に「句碑めぐり@〜I」として、句碑のある場所が書いてある。 |

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白河の関やいづことおもふにも、先づ、秋風の心に動きて、苗緑に麦あからみて、粒々に辛きめをする賎がしわざも目に近く、すべて春秋のあはれ、月雪のながめより、この時はやや卯月のはじめになん侍れば、百景一つをだに見ことあたはず。ただ声をのみて筆を捨つるのみなりけらし。 |
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「この黒羽は、白河の関にも近いあたりのこととて、秋風の趣を味わいたい。しかし、今は折悪しく季節のあわれを感じさせるものも乏しい四月のはじめで、早苗は緑に麦はあからみ、百姓の辛苦に満ちた労働がもっぱら目近に眺められるだけである。そうした中にあって、いかにも夏のあわれを感じさせるものとして時鳥の声を耳にすることができたことだ」の意。 意余って詞足らずという点があり、前文を読まないと「田や麦が夏らしい風物として目に入るが、特に時鳥の声に夏らしさが感じとれる」という解になるのが自然であり、その点十分熟した作とはいえない。なお前文も文脈の乱れが感ぜられるふしがあり、あるいは未完稿のままで終った作品かもしれない。 『曾良書留』に次の前文を付して掲出。末尾に「元禄二孟夏七日」と奥書がある。「白河の関やいづことおもふにも、先づ、秋風の心に動きて、苗緑に麦あからみて、粒々に辛きめをする賎がしわざも目に近く、すべて春秋のあはれ、月雪のながめより、この時はやや卯月のはじめになん侍れば、百景一つをだに見(る)ことあたはず。ただ声をのみて筆を捨つるのみなりけらし」 『雪丸げ』にも収め、下五「夏のほとゝきす」と表記する。『茂々代草』(右は桃雪亭にての吟也)と付記)・『安達太郎根』(浄法寺家に真蹟を蔵する旨付記)には「麦や田や中にも夏はほととぎす」の形を伝える。初案か。『奥細道拾遺』・『一葉集』(仙台にて)と前書)は下五「市の時鳥」と誤る。『曾良書留』によって、元禄二年四月七日の作であることが明らかである。 |
