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『奥の細道』の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と同じ時期に詠まれた句で、芭蕉と曾良を白魚に、千住まで見送りに来た門弟達を鮎に見立てたものらしい。 |
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留別 鮎の子のしら魚送る別れ哉 一書に云、奥の細道を思ひ立ちたる留別にして、身を白魚の老に比し、人々を鮎の若きにたとふ。時に年四十六、元禄二年の事也。
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸) |
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「自分は今心の相通う人々に見送られて江戸を離れようとしている。折しも春の末のことで、この大川では、鮎の子が先に川に入った春の白魚を追ってのぼりはじめたころであるが、そのことがいま何がなし心惹かれて思いやられることだ」という意。 留別の情が基底になっているので、この比喩がまことに美しく、現代には見られぬおおどかさをもつ。鮎の子に門人を、白魚に自分を託したというようにあらわにとってしまうと、もうこの微妙さはうしなわれてしまうであろう。鮎の子のを送るさまがそのまま今日の別れに匂いあえばよい。やや比喩の感じがあらわで、そこに「位あしく、仕かへ」た理由があったものとおもう。 『続猿蓑』に「留別」の題下に掲出。『泊船集』(「留別」と前書)・『伊達衣』(常陸下向に江戸を出づる時、送りの人に」と前書)にも収める。『赤冊子草稿』にも見え、「この句、松島旅立の比、送りける人に云ひ出で侍れども、「位あしく、仕かへ侍ると直に聞えし句なり」と注記する。『奥の細道』に洩れた句としてその「仕かへ」た句というのが、次句の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」であろう。『蕉翁句集』も元禄二年の部に収める。『伊達衣』の前書は杜撰である。 |
