『奥の細道』
〜千住〜
大橋公園から足立市場入口へ。
千住宿奥の細道
この道が江戸時代からある「日光道中」です。
1689年5月16日、芭蕉が弟子たちに別れを告げ「奥の細道」へと旅立ちをしたのが、ここ千住からでした。
日光道中 千住宿 この道の両側がやっちゃ場跡
江戸時代、幕府御用市場となり、江戸八百八町の台所を支えた。現在は此処に場所を移して、東京都中央卸売市場となる。
日光道中千住宿
芭蕉像があった。
明和6年(1769年)4月5日、蝶羅は奥羽行脚に旅立つにあたり千住で句を詠んでいる。
霊巌島の酒肆より千住へ乗船の折から、半途
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にして雨ふりければ、
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よきつれや濡ても夏の旅ごろも
| 蝶羅
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朝雨に笠脱なつの旅路かな
| 嵐亭
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与野の俳人鈴木荘丹は大島蓼太がみちのくに旅立つのを船で千住まで送った。
蓼師と周竹叟ミちのくの行を千住に送る舟中吟
夏川やはなれぬ鴛の船二艘
千住宿歴史プチテラスへ。
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