2019年鹿児島市

なぎさ遊歩道〜碑巡り〜
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月読神社からなぎさ遊歩道へ。


昭和28年(1953年)、高浜年尾は桜島を訪れている。

冬ぬくし熔岩を屏風として住まふ

熔岩のみち急に落ち枇杷咲くところ

熔岩色を重ねて古りて冬ざれて

『年尾句集』

高浜年尾の句碑があった。


熔岩(ラバ)色を重ねて古りて冬ざれて

 熔岩が黒くかさなりかさなって、年とともに古び、ものさびしく荒々しい広大な冬景色を詠んだ句である。

 作者の年尾は高濱虚子の長男で、1900年の生まれ、俳誌「ホトトギス」を主宰し俳壇の育成者として功績があり1979年に亡くなりました。伝統俳句の行き方をかたく守り、自然を深く見て写生する点に特徴があります。桜島の景観を愛し、しばしば来遊しましたが、この句は1953年に作り、字もまた自筆のものであります。



金子兜太の句碑もあった。


黒い桜島折れた鉄床海を走り

 桜島はこの島に祀られる木花佐久夜毘売にちなむともいわれ、日に七度色を変える。

 朝の太陽を背にした桜島は、黒くその男性的な姿をあらわす。

 昭和35年5月、はじめて桜島を訪れた作者は、逆光の桜島に対峙したとき、梅崎春生の「桜島」のイメージで思いつづけていた桜島と、自らの戦争体験が重なって、錦江湾に折れた銃床が走るように見えた。これは現代俳句特有のイメージ化作業ではあるが、折れた銃床には、海へ向かって走っている熔岩の姿が重なったのかも知れない。暗い時代の戦争の痛みが伝わってくれば幸いである。

 作者は埼玉県秩父の生まれ。「海程」主宰。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。

横山房子の句碑


マグマ湯の赫く溢れて梅雨の月

 平成4年6月、桜島での作品である。マグマ湯とは、当時の国民宿舎「さくらじま荘」自慢の温泉で、地下千メートルの地層からポンプアップしていたものである。成分は、鉄分と化石化した塩分で、濃い褐色をなしている。

 浴棟から溢れた赤いマグマ湯は、湯気をあげながら熔岩の野原へ幾筋と流れ込み、消えて行く。そしてまた、マグマの許へ帰趨するのであろう。旅寝の夜を茫とした梅雨の月がその流れを照らしている。

 横山房子−大正4年北九州生まれ、平成19年歿。横山白虹の興した新興俳句「白鳴鐘」を継承した。



桜島が見える。


淵脇護の句碑


島大根引くや背に降る熱き火山灰(よな)

淵脇護は俳誌「河」の角川源義・照子・春樹の三代に師事。

昭和15年(1940年)、鹿児島県霧島市に生まれる。

平成3年(1991年)、俳誌「河鹿」創刊。

平成13年(2001年)、俳誌「河鹿」主宰となる。

平成23年(2011年)、俳誌「河鹿」創刊20周年を記念して建立。



角川照子と角川春樹の句碑


火の島の左右に紫春の暁(あけ)
   照子

地に垂りていよいよあをきさくらかな
   春樹

 角川照子は、昭和3年東京生まれ。夫角川源義(昭和50年没)が創刊主宰した俳誌「河」を54年から継承主宰、平明で人間味あふれる作風で知られる。碑の句は対岸のホテルからの眺望を詠んだもの。

 句集に「幻戯微笑」「阿吽」「花行脚」「秋燕忌」「すばる」等あり。第11回現代俳句女流賞を受賞。社団法人俳人協会理事を経て平成16年、75歳にて逝去。

 角川春樹は、昭和17年富山県生まれ。照子の長男で、長く「河」副主宰を努めた後、平成16年照子の死後「河」の主宰に就任、日本一行誌協会を設立して、世に「魂の一行詩」運動を興す。作風は重厚にして多才。芸術選奨文部大臣新人賞、俳人協会新人賞、読売文学賞、蛇笏賞、山本健吉文学賞などを次々と受賞、実力者の地位を不動のものとした。碑の句は桜島にちなんで桜を詠んだもの。著作は句集・評論・対談など多数あり。角川春樹事務所特別顧問、映画制作者等としても活躍。





藤後左右の句碑


夏山と熔岩の色とはわかりけり

平成2年(1990年)9月9日、建立。

 大正3年の大爆発は膨大な熔岩流を島の四方へ流し、海を埋めた。

 青葉に彩られた夏山は活気に満ちて、熔岩のひだや火口の噴煙も夏の趣きである。

 それに比べて遠い夏山から熔岩流が累々とひろがって、まっ黒い岩の波涛の如く、その上には一草も一木もない。見るからに惨憺たる枯死した光景であった。

 夏山の活気と熔岩原の殺伐な状況を対照させて、余分な感情や思惟を交えず、桜島の大景に色彩感を出している。熔岩を英・独語読みの(らば)とルビをふって、初めて俳句に用いたことも有名。昭和5年の作。

 作者は鹿児島県志布志出身の医師。京大在学中「ホトトギス」誌の巻頭を飾る。「京大俳句」を経て「天街」代表同人、俳句定型の革新に意欲的であった。南日本文化賞受賞。現代俳句協会及び口語俳句協会顧問。現代俳句協会名誉会員。平成3年歿。



水原秋桜子の句碑


さくら島とどろき噴けり旧端午

『殉教』に「鹿児島、岩崎谷にて」とある。

 昭和43年5月、たまたま桜島の大噴火に遭遇しての即吟である。

 5月5日を端午の節句または菖蒲の節句と呼ぶが、(旧端午)は陰暦5月5日のことであり、新暦では6月初めにあたる。

 男性的な噴火音を、南国のエネルギーと受けとめ、旧端午の祝意ともなしたのである。秋櫻子が愛した(鹿児島・桜島・南州)への思いも溢れている句である。

 水原秋櫻子・・・・明治25年、東京神田の生まれ。新興俳句運動や「馬醉木」を通じて俳句の革新に力を注いだ。「葛飾」など21の句集のほか、随筆、評論、入門書の類は枚挙にいとまがない。昭和56年88歳にて他界。

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