八日
かくいへる所にて
くらが野ときけばや里も木下闇
けふは過る道すがら、家々の軒に藤をさし侍り。花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、仏生会の手向也と云。故郷にて見馴ぬ事也。みちの国に花かつミふくたぐひにやとめづらし。
潅仏もやがてはへとて藤の花
此夜板鼻にとまる。
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中山道倉賀野宿脇本陣跡
寛政5年(1793年)9月2日、田上菊舎は倉賀野に泊った。
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此日倉加野泊、こゝに風雅も好み、念仏三昧なるいと殊勝の老人あり。朝まだき訪れて
秋すみし木喚の音に立寄りぬ
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享和2年(1802年)4月4日、太田南畝は倉賀野に泊まる。
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一里塚榎をへて右のかたをかへりみれば、高崎の城まで見わたさる。倉加野の駅の本陣には松平右衛門佐殿やどらせ給ふ肥前少将御嫡子 こよひは脇本陣□□□が家にやどる。庭に牡丹の花さかり也。宿のあるじまめやかなるものにて、酒すゝめ物がたれり。
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中山道倉賀野宿中町
御傳馬人馬継立場跡
文化11年(1814年)12月19日、小林一茶は故郷の柏原に向かう途中で倉賀野に泊まっている。
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十九 晴 倉ケ野 スガ半蔵泊
『七番日記』(文化11年12月) |
倉賀野宿下町で中山道は例幣使街道と分岐する。
日光例幣使街道の第一宿は玉村宿。
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