街 道中山道


常夜灯と道しるべ

高崎市倉賀野町の下町で中山道は例幣使街道と分岐する。


 江戸時代、日光東照宮には毎年4月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般に倉賀野から楡木までとされる。

分岐点に焔魔堂があった。


享和2年(1802年)4月5日、太田南畝は倉賀野宿を出る。

五日 晴たり。小橋をわたりて左のかたに、右江戸道、左日光道といふ石表あり。道のゆくての右のはし(た)に塚のやうなるもの多し。左右の麦のはたをみやるに実のりよくみゆ。


焔魔堂の西側に常夜灯と道しるべがあった。


 文化11年(1814年)、五料宿の茶屋「高砂屋」の主人高橋光賢建立。文字は光賢の息子の妻佳年の筆。

道しるべ
 正面 従是 右 江戸道 左 日光道


 裏面 南無阿弥陀仏 亀涌水書

常夜灯
 正面 日光道

 南面 中山道

 北面 常夜燈

 裏面 文化十一年甲戌正月十四日高橋佳年女書。

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