田上菊舎


『美濃・信濃行』(田上菊舎)

 寛政5年(1793年)、田上菊舎は不破の関を越え、再び美濃の大野傘狂邸を訪れた。

名にあふ不破を過るとて

   月のもる笠に涼しう関越しぬ

長府一字庵の主尼、三とせぶりならん朝暮の柴扉を尋ねらるゝにぞ、山海辺にその信を捨られざる事は今さら感じながら、互ひのなつかしさは逢ふての上の言の葉もなく、馴染の山辺に伴ひありきて、そこの木陰、爰の流れに安らひ安らひて

泉ほど咄(はな)しも涌ぬ夕涼
   宗師

 わすれぬ山に夏は忘るゝ
   菊舎

諏訪から和田を越えて、長久保に止宿、翌日は塩名田に泊まる。

すはを立、和田越へて、四つ時より終日大雨、長つぼといふ所に止宿、翌日上田にゆくべきを、橋落ちて塩なだといふ所に宿。

8月25日、姨捨山、26日、善光寺に参詣。

指を折れば、天明二の昔、姨捨山上に旅寝せし頃、風雨の難をたすけられし、傳五郎といへる老の夫婦へ、折からの情を謝せんと、自画賛一葉おくるとて

   捨てぬおばへよはひみせうぞ岩に菊

   すむや心さらしな郡秋三月

二十六日、善光寺へ詣ふで、只有難さ身にあまりて

   袖の露に光る大悲や寺の月

8月27日、坂木宿に立ち寄る。

長々こゝろ添へにあづかりし都かたの人々にも、二十七日、善光寺にて手を別つ事とはなりぬ。

この頃やゝし置いて、矢代垣崎平九郎といへるもとに舎り、爰より文添へられ、坂木に昼宿りして、十年余りの昔、今ざと旅寝せし頃、内村なにがしの深切にあづかりしが、今又この坂木宿にて、そのゆかりある一素風女(に)まみえよろこびて

   結ぶ縁のめぐりてやさし萩の露

上田で雲帯を訪れる。

せつに留められしを、心せくまゝむけがけして、上田といふ所に舎り居ければ、道の程三里ばかりを跡をしたひ、初夜すぐるころたどり着れし一素風女の深切に、迷惑さ限りなく、夜と共に語り、互に和歌などあり、茲に略す。

茶道と俳諧に心をゆだね、花月の風流にのみ遊べるときこえし雲帯のぬしを訪れて

   たのしみてその奥ゆかし路次の蔦

8月28日、追分に泊まる。

道まで駕にておくられ、此日は八里追分迄ゆきぬ。若林なにがしといふに舎りけれど、主人留守にてまみえず。朝とく立出るとて

   ぬしもしらでかり寝に夜寒凌ぎけり

9月2日、倉賀野に泊る。

此日倉加野泊、こゝに風雅も好み、念仏三昧なるいと殊勝の老人あり。朝まだき訪れて

   秋すみし木喚の音に立寄りぬ

前書略

   奥床し九日も近き菊の花

9月3日、熊谷宿に泊り、熊谷寺の開山忌に参詣。

蓮生山熊谷寺


此日の道十里に近し。熊谷宿に泊。幸ひ三日より四日迄、かの熊谷山開山忌とて、人々群集せ。幸に参詣して、ありし古歌など思ひいでゝ

われも道にうしろは見せじ月の笠

9月4日、大雨。桶川に泊まる。

四日終日大雨。桶川に昼時より止宿。明れば五日晴天、富士山等よく見へ、いと面白し。

   野に山に錦みばへて富士の雪

9月5日、蕨宿本陣の肯三亭に泊まる。

蕨本陣跡


東都にさらぬゆかりの人々、いかゞわたらせ玉ふらしと、長の旅路をあんじあんじ、わらび駅なる肯三亭に御たより落つく。きけば恙なきとのもの語りの上、是非に今宵ととめられ、是をよろこび興じて

   月の軒や訪ひそめに先づ心張れ

    見舞いしはせぬ露の侘笠      和風

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