横井也有

『鶉衣』(岐岨路紀行)

 延享2年(1745年)4月、横井也有が第八代尾張藩主宗勝公のお供をして江戸から帰る時の紀行。4月6日に江戸を出て、16日帰着。『宇都良衣』(拾遺中)に収録されている。

 乙丑のことし、

 君したがひ奉りて、卯月六日江戸を出て尾陽にのぼる。一年を恙なく帰郷のけふを待えたるよろこび、人々も賀しあへるに、

   卯花の中にうからぬ首途かな



 といへる所に、とばかり昼げとゝのへて出つ。

   我とむる手もなき夏のわらび哉

 此夜上尾に泊る。

 七日

 熊谷寺に直実が像などあるよし、みちのあハ(わ)たゞしくて立よらず。

   熊谷もはては坊主やけしの花

 今夜は本庄に泊る。

 八日

 かくいへる所にて

   くらが野ときけばや里も木下闇

けふは過る道すがら、家々の軒に藤をさし侍り。花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、仏生会の手向也と云。故郷にて見馴ぬ事也。みちの国に花かつミふくたぐひにやとめづらし。

   潅仏もやがてはへとて藤の花

 此夜板鼻にとまる。

 九日

 碓氷峠を越侍る。般若石といへる嶮阻をすぎてより、さのけはしからねば歩行にて行。山谷の桃桜夏としもなく、木のめなど打けぶるやうなるもあり。



 追分にとまる。

 宿の軒端に浅間山ま近くミえて、けふ晴たる空に、ことに煙のまがふ方なく立登るさまめづらし。此あたりいまだ蚊も出ねば、

   蚊にはまだたかぬ煙を浅間山

 十日

 此夜和田にとまる。

 あるじが子とて惣太郎といへる十二三なる童の、茶など運びてかしこげなるに、見えわたりたる山をとへ、かれハ大田沢、これ(檳)榔山とをしふ。名にしおふくろかミ山にもよらずして、いかで此名をよびけんとゆかし。

 十二日

 けふ福しまにて山村氏が亭にいらせたまふ。家ゐつきづき敷、のしめ上下にもさわぎて、何くれともなしたてまつる。鯛・鰤(ぶり)などの膳にひろごりたる、けふは山家めきたる心地もせず。

   俎板のなる日はきかずかんこ鳥

 十三日

 けふハ名におふかけ橋をわたる。

   眠るなと馬子ハしかれど百合の花

 臨川寺にいらせ給ひて、寐覚の床御覧ず。爰に筏士のさまざま自由をえたるを、めづらしき物にめでさせ給ふ。いかばかり吹と、とふべき折にもあらず。

   ちる物なくて筏に青あらし

 此あたりを見かへりの里といふ也と、人の指さしてをしふ。

 又いつか木曽の麻衣あさからぬ

   なごりやあとにミかへりの里



 十四日

 大井にとまる。

 山中はたえて竹のなき所にて、桶の箍などいふ物も木にて営めり。こゝの宿にて初て竹の子を調じて出せるを、いとめづらしくて、

   竹の子にあふて家路もほどちかし

 十五日

 土田にとまる。

 あくる日家につき侍る。此間句もなし。

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