芭蕉の句碑滋 賀


湖や暑さを惜しむ雲の峰

大津市丸の内町に膳所公園がある。


膳所公園


膳所城跡である。

 慶長6年(1601年)、徳川家康は藤堂高虎に築城させる。大津城主戸田一西が3万石で入城。

 慶長8年(1603年)、戸田氏鉄は膳所藩二代藩主となる。

 元和3年 (1617年)、氏鉄は摂津尼崎藩5万石へ移封。本多康俊、膳所藩藩主となる。

 元和7年(1621年)2月、本多俊次が膳所藩主本多家二代となる。

近江大橋を背景にして芭蕉の句碑があった。


湖や暑さを惜しむ雲の峰

出典は『笈日記』(湖南部)。

 「去年の夏、又此のほとりに遊吟して、遊刀亭にあそぶとて 納涼 二句」とあるうちの2句目である。

 元禄7年(1694年)6月中旬、芭蕉翁は膳所の能太夫遊刀の家でこの句を作りました。膳所義仲寺の無名庵に最後に滞在していたときのことです。

 琵琶湖の上に高々と立ちのぼっている雲の峰は、夕方の涼しい風が吹き渡ってくるようになっても、まるで昼間の暑さを惜しんでいるかのようである。

 湖と雲が演出する雄大な景色が目に浮かびます。

大津市

7月15日、芭蕉は大津から帰郷

 享和2年(1802年)3月23日、太田南畝は膳所城を出て「打出の浜」へ。

膳所城の大手を出て左に稲荷社有。右に走井五百羅漢建立といふ札あり。又妙見大菩薩あり。左に若宮八幡あり。城門を出て打出の浜なるべし。湖水のけしきは去年も見しかば、くはしくは書ず。


 嘉永4年(1851年)3月18日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、大津から膳所を経て瀬田へ。

逢坂を越え、大津に至りて餐を傳ふ。阿侯も亦ここに憩ふ。湖水、前に當りて渺茫愛すべし。膳所の城中を經て勢多に抵り雨に遇ふ。


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