2023年福 岡

西公園入口〜万葉歌碑〜
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福岡市中央区荒戸2丁目に「西公園入口」の碑があった。


進藤一馬

裏が万葉歌碑になっていた。


  草まくら旅ゆく
 きみを荒津まて
おくりそ来つるあき
   たらねこそ

万葉歌碑

草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ(万葉集第12巻3216)

 この歌は、都(平城京)に帰ろうとする、あるいは唐や新羅へ派遣される官人を見送る人が、この荒津の浜で別れを惜しんで詠んだものです。また問答歌「しろたへの袖の別れを難(かた)みして荒津の浜に宿りするかも」(万葉集第12巻3215)の歌碑が大濠公園の松島に建てられています。

中央区役所 企画課

奈良時代の唐・新羅への経路


唐津街道

 江戸時代、福岡藩や唐津藩の参勤交代に使われていた道で、北九州市の小倉から福岡城下を通過し、荒戸、唐人町商店街、鳥飼八幡宮の南側を通って西新商店街へと進み、唐津城下に至る道筋です。

中央区役所 企画課

西公園に向かうと、福岡バプテスト教会があった。


小田部藤園の跡

 明治の初めから終戦直後まで、この辺り一帯に「小田部の藤」と呼ばれた九州随一の藤の庭園がありました。毎年4月から5月の花の時期には無料開放され、多くの見物客でにぎわっていました。著名人も訪れており、福岡市出身の俳人吉岡禅寺洞がここを訪れた際に詠んだ句が残っています。

年々や この藤に来て しづこころ

 小田部藤園は、黒田藩士・小田部爲雄(ためを)が、37歳で散った竹馬の友 勤皇の志士 平野国臣を偲んで屋敷内に藤を植えたのに始まり、藤棚の広さは約1,000坪(約3,300u)、株数50余株に及び、1メートル以上の花房の紫、白、紅、濃紫の見事な花を咲かせていました。現在、福岡バプテスト教会前庭に2株が残っており、その名残りをとどめています。

中央区役所 企画課

平野二郎國臣像へ。

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