天正15年(1587年)、九州平定を終え筥崎宮に滞陣した豊臣秀吉は、小寺休夢(福岡藩の藩組黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、茶人の千利休や博多の豪商神屋宗湛らと茶会を催しました。その際、利休は秀吉の命により、この地の松に鎖をつるして雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉を集めて湯をわかしたと伝えられています。 |
この浜に太閤殿下に茶を奉りける利休居士 |
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が釜かけ松の一木あり |
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月こよひたそや茶をたく松の陰 | 蝶酔 |
昭和4年(1929年)、芝不器男は睾丸炎を発病、九州帝国大学附属病院後藤外科に入院。退院後、主治医横山白虹の治療を受ける。 |
かの窓のかの夜長星のひかりいづ 夜長星窓うつりしてきらびやか 野分していづかにも熱いでにけり |