私の旅日記2015年

芦原ゴルフ場〜汐越の松〜
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福井県あわら市浜坂に「芦原ゴルフ場」がある。


昭和35年(1960年)11月、オープン。

「芦原ゴルフ場」の前に「おくのほそ道」俳文碑があった。


         越前の境、吉崎の
入江を舟に棹して、
汐越の松を尋ぬ。
   終宵嵐に波をはこばせて
   月をたれたる汐越の松 西行
此一首にて、数景尽たり。
もし一辨を加るものハ、無用の
指を立るがごとし

西行ではなく蓮如上人の歌であると言われている。

 昭和59年(1984年)8月5日、芦原温泉開湯百周年記念・町制施行五十年記念・町村合併三十年記念に芦原町建立。

元禄2年(1689年)旧暦8月10日頃、芭蕉翁おくのほそ道行脚の途次此処を尋ねる。

「芦原ゴルフ場」海沿いの松林。


此歌、世人多く西行の詠とす。翁も人口に付て、かくは記し申されたるが、『西行山家集』、『家集』、其の外の歌集にも此の歌なし。因て旁々尋侍るに、蓮如上人の詠歌なるよし。彼宗の徒、皆云り。今蓮如山より北海を臨むに、此歌の風情よく叶へり。

『奥細道菅菰抄』

奥の細道汐越の松遺跡


福井県観光株式会社

汐越の松


吉崎の入江に、渡舟あり。(浜坂のわたしと云)此江を西にわたりて、浜坂村に至る。それより汐越村をこえ、砂山を五、六町ゆけば、高き丘あり。上平らかにして広く、古松多し。其下は、外(ト)海のあら磯にて、岩の間岩の間にも、亦松樹あり。枝葉愛すべし。此辺の松を、なべて汐こしの松と云(一木にはあらず)。今も高浪松が根をあらひて、類稀なる勝景なり。

『奥細道菅菰抄』

日本海を見下す。


 元禄14年(1701年)、支考は北陸行脚の途上、汐越の松を訪れている。

   汐越松

關雪のぬし此日のあるしまふけせられて、川船に一樽の興を添たるに、道のほと一里はかりならん、江上の清風も山間の名月も、ともにとほしきあそひにはあらさりけり。

   松葉ちる嵐や礒は浪の花


 元禄16年(1703年)秋、涼菟は山中温泉に遊ぶ。北枝は汐越の松に案内する。

   一とせ汐越の松見んとて浦つたひせられしを
   其時のあないせし北枝今も又我をともなひて
   共に昔をしたひ侍
  凉兎
浪聞て爰そ身にしむ松の風

 澄きる月に笠の俤
   里楊

露霜にまんまと我もつれ立て
   北枝


 享保6年(1721年)5月14日、露川は北越行脚の途上、汐越の松に案内された。

  十四日、大聖寺のかたに杖を引。砂鉾
  四里をたすけて、汐こしの松見せんと
  や、見送り十余人、未の下刻に着。松
  陰に物打敷て盃取かはし、おのおの汐
  こしの松に矢たてを動す。

汐こしの松や葉で漉す風凉し
   居士

木綿帆の汐こし凉し鷺の聲
   無外


 明和8年(1771年)、加舎白雄は北陸行脚の途上、汐越の松を訪れている。

月をたれたる汐越の浦にて蕉翁に句なきは、句なきぞありがたかりける。

   汐越や松がね枕蚤もなし


2004年3月1日、芦原町は金津町と合併して、あわら市となった。

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