2020年愛 媛

西山興隆寺〜碑巡り〜
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西条市丹原町古田甲に西山興隆寺がある。

名勝もみじの寺

 皇極天皇(在位642〜645)の御代に空鉢上人が開山した寺です。和銅5年(712年)に行基菩薩が千手観音菩薩を刻んで安置。後に、報恩大師、弘法大師が入山し七堂伽藍を整えられました。

 歴代の皇室、武将、藩主並びに地方信仰者の崇敬を集めた名刹です。

御由流宜(みゆるぎ)


弘法大師が青年の頃、この橋のたもとで

 み仏の法のみ山の法の水

  流れも清くみゆるぎの橋

と詠まれた。

この橋の橋板の裏には経文が書かれてあるところから、無明から光明へのかけはしになっている。心して渡られよ。

酒井黙禅の句碑があった。


石鎚も象頭も見えて

      五月晴

昭和27年(1952年)、建立。

山門(仁王門)


塩見草映の句碑


仁王門
 ここから無欲
   背を伸ばす
草映

前田伍健の句碑


霊気しむ花よもみしよ興隆寺

牛 石


源頼朝公が本堂再建の時、材料を運搬しつづけた牛がこの地にたおれ、人々は牛に似た石でこれを葬った。参拝する人々は口のところに草をさしこんでは、その労をねぎらうのである。

柳原極堂の句碑


雨だれの音も

  そひきて夜寒かな

『草雲雀』(「日 記」より)に収録の句。

昭和53年(1978年)11月、建立。

勅使門


宝暦6年(1756年)、建立。

客 殿


中川草楽の句碑


   鐘の聲
弘安の世へ
    霞みけり

石段を上る。


不破博の句碑


萌若葉千手観音あまねしや

不破

石 垣


文化3年、松山藩寺社奉行によって普請された、築城方式による石積である。

本 堂


文中4年(1375年)、建立。

国指定重要文化財である。

本尊は千手千眼観世音菩薩。

真言宗醍醐派の別格本山である。

本堂の手前左手に吉井勇の歌碑があった。


西山の御寺の秋の深うして

弘安の鐘のおとのさやけさ

昭和41年(1966年)11月、建立。

渡部杜羊子の句碑


點滴を
(て)に汲みたむる
 清水かな

 明治32年(1899年)、渡部杜羊子(とよし)は丹原町に生まれる。渋柿派俳人。

昭和60年(1985年)、丹原町桜三里から移設。

大師堂


左手に三重塔が見える。

石段を上る。


三重塔


天保7年(1836年)、建立。

愛媛県指定文化財である。

他に幾つかの句碑や歌碑があったが、よく読めなかった。

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