芭蕉の句
やまざとはまんざい遅し梅花
真蹟懐紙に「伊陽山中初春」と前書きがある。
元禄4年(1691年)春、故郷の伊賀で詠まれた句。
橋木は伊賀上野藩士藤堂長定の俳号。通称修理。
宝永4年(1707年)、37歳で没。
土芳は「行て帰る心の味也」と言っている。
発句の事は、行て帰る心の味也。たとへば「山里は万歳おそし梅の花」といふ類なり。「山里は万歳おそし」といひはなして、むめは咲るといふ心のごとくに、行て帰る心発句也。山里は万歳おそしといふ斗のひとへは、平句の位なり。先師も「発句は取合ものと知るべし」と云るよし、ある俳書にも侍る也。題の中より出る事すくなき也。もし出ても大様ふるしと也。
薬師寺の句碑
国津神神社の句碑
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高梨邸の句碑
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雀宮神社の句碑
普門院の句碑
大分市の悟真寺に「山寺に」とした句碑がある。
『はせをつか』(楓幻亜編)に「有米冢 同杤久保三ッ谷天神 三溪ゝ 山里は万歳おそしうめの花」とあるが、現存しない。
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