芭蕉の句


先たのむ椎の木も有夏木立

出典は『猿蓑』(幻住庵の記)。

 元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで芭蕉は国分山の幻住庵に滞在した。47歳の時である。

幻住庵


幻住庵の記

 石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山と云。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たゝせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家には甚忌なる事を、両部光を和げ、利益の塵を同じうしたまふも、又貴し。日比は人の詣ざりければ、いとゞ神さび物しづかなる傍に、住捨し草の戸有。よもぎ・根笹軒をかこみ、屋ねもり壁落て、狐狸ふしどを得たり。幻住菴と云。あるじの僧何がしは、勇士菅沼氏曲水子之伯父になん侍りしを、今は八年斗許むかしに成て、正に幻住老人の名をのみ残せり。

 予又市中をさる事十年計にして、五十年やゝちかき身は、蓑虫のみのを失ひ、蝸牛家を離て、奥羽象潟の暑き日に面をこがし、高すなごあゆみくるしき北海の荒礒にきびすを破りて、今歳湖水の波に漂。鳰の浮巣の流とゞまるべき蘆の一本の陰たのもしく、軒端茨(ふき)あらため、垣ね結添などして、卯月の初いとかりそめに入し山の、やがて出じとさへ思ひそみぬ。

 さるを、筑紫高良山の僧正は加茂の甲斐何がしが厳子にて、此たび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染て、幻住菴の三字を送らる。頓(やが)て草菴の記念となしぬ。すべて山居といひ旅寝と云、さる器たくはふべくもなし。木曽の檜笠、越の菅蓑計、枕の上の柱に懸たり。昼は稀々とぶらふ人々に心を動し、あるは宮守の翁、里のおのこ共入来りて、いのしゝの稲くひあらし、兎の豆畑にかよふなど、我聞しらぬ農談、日既に山の端にかゝれば、夜座静に月を待ては影を伴ひ、燈を取ては岡(罔)両に是非をこらす。

 かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。「楽天は五臓の神を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。

先たのむ椎の木も有夏木立

福島県郡山市の阿弥陀堂

埼玉県小川町の八宮神社

東京都八王子市の永泉寺

千葉県旭市の八重垣神社、匝瑳市の無量院

神奈川県横須賀市の満願寺

滋賀県大津市の幻住庵、高島市の妙楽寺

愛媛県西条市の覚法寺

福岡県久留米市の久留米城址

長崎県佐々町鴨川免の旧家

熊本県熊本市の本妙寺に句碑がある。

阿弥陀堂の句碑



八宮神社の句碑



永泉寺の句碑



八重垣神社の句碑
   
無量院の句碑

   


満願寺の句碑



幻住庵の句碑



覚法寺の句碑



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