渡辺崋山

「游相日記」
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相州厚木に赴くにあたり、青山の太白堂孤月を訪れている。 訪二太白堂主人長谷川氏一到二青山一投二銭二百三十一去。 |

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又、高坐郡当麻といふに時宗の寺あり。これを当麻山無量光寺といふ。寺主陀阿、俳諧好す。名あり。荻野といふ所に洞々といえる俳師あり。 |
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21日、荏田を出て、長津田で太白堂の門人兎来や琴松と会う。 |

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箍(タガ)掛りしばしありけり萩の花 武長ツタ 琴松 長津田の農松五郎、名ハ琴松とよぶ。余にこの句をおくる。 沢月堂主人、袁氏が瓶史にこころ深めて、心高うよにふれば、又号二兎来一。 米ハなに菊のこしをば君折む 琴松ハ農夫也。余はじめて逢ひしに、西疇に事ありとて出行。 はなしかけて麦蒔に行ぞ世は豊 兎来、旭陽堂と号、万屋藤七、経師、行燈、たばこをなりわひとす。 大海や何所まで秋のとゞく音 兎来 草 |
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22日、柴胡が原のことを書いている。 |

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鶴間原出づ。この原、縦十三里、横一里、柴胡多し。よつて、柴胡の原ともよぶ。諸山いよいよちかし。 |
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相模川をわたる。此川大凡三四丁もありぬらん。清流巴をなして下る。香魚甚多。厚木に到。万年屋平兵衛が家を主とす。 |

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厚木の盛なる都[と]ことならず。家のつくりさまハ江戸にかはれども、女男の風俗かはる事なし。 |
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22日、斎藤利鐘は厚木六勝に誘われ、厚木六勝を描いた。 蘭斎、撫松、厚木六勝を見んと誘ふ。これは撫松自厚木六勝を撰ミ、画をもとむ。故に其真境に到んと誘ふなり。 |
