俳 人
太白堂孤月
江口長之助。五代太白堂山口桃隣の弟子。青山に住む。
寛政元年(1789年)、江戸に生まれる。
文政4年(1821年)、太白堂六世を嗣号。太白堂は天野桃隣の号。
文政9年(1826年)、風月齋塚主は芭蕉の句碑を建立。
山里は萬歳おそし梅の花
風月齋塚主を催主として万句合が催された。
台座に万句判者太白堂孤月、蟹殿洞々、松竹舎梅谷、その他多くの俳人の名前が刻まれている。
文政10年(1827年)秋、太白堂孤月の門人は稲城市の常楽寺に芭蕉の句碑を建立。
名月に麓のきりや田のくもり
天保2年(1831年)9月20日、渡辺崋山は相州厚木に赴くにあたり、青山の太白堂孤月を訪れている。
訪二太白堂主人長谷川氏一到二青山一投二銭二百三十一去。
同年10月11日、渡辺崋山は太白堂孤月の紹介状を手に「毛武」へ旅立つ。
太白堂を訪ひ、毛武諸人への手簡を乞ひ、これを道引として行んとするなり。
安政4年(1857年)10月12日、時雨忌に太白堂と塢麦の後見で清風庵一竹が芭蕉の句碑を建立。
梅か香にのつと日の出る山路かな
安政6年(1859年)3月、長命寺二十一世泰英代は芭蕉の句碑を建立。孤月書。
父母のしきりにこひし雉子の聲
慶応2年(1866年)、上五箇の人金子徳齋の門人が芭蕉の句碑を建立。大白堂孤月筆。
子規ま年久か麥のむら尾花
明治4年(1871年)7月19日、84歳で没。
門人に長津田の兎来や琴松がいた。
稲城市の但馬稲荷社にある芭蕉の句碑に孤月の句が刻まれている。
玉川やかすミの先に又見ゆる
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