旅のあれこれ
秋山好古ゆかりの地
秋山兄弟生誕地一組の兄弟をえらんだ。 すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古と秋山真之である。この兄弟は、奇蹟を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
司馬遼太郎著『坂の上の雲』 |
安政6年(1859年)1月7日、伊予松山城下(現:松山市歩行町)に松山藩士秋山久敬、貞の三男として生まれる。 明治10年(1877年)5月、陸軍士官学校(旧3期)入校。 明治16年(1883年)4月9日、陸軍大学校(1期)入校。 明治20年(1887年)7月25日、サン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の補導役としてフランスへ渡る。 明治34年(1901年)7月4日、清国駐屯軍守備司令官。 明治37年(1904年)、日露戦争に騎兵第一旅団長として出征。 大正5年(1916年)11月16日、陸軍大将。 大正12年(1923年)3月31日、予備役に編入。 大正13年(1924年)4月、私立北予中学校(現:愛媛県立松山北高等学校)校長就任。 昭和3年(1928年)11月、大日本國粹會愛媛県本部は「御大典奉祝記念」の碑を建立。 昭和5年(1930年)11月4日、薨去。享年72。青山霊園に秋山好古の墓があるそうだ。松山市の鷺谷墓地にも墓碑がある。 昭和10年(1935年)、秋山好古大将像建立。 昭和11年(1936年)、道後公園に騎馬像が建設されたが、戦争中金属供出。 昭和45年(1970年)1月、秋山好古大将像再建。 |