野口雨情ゆかりの地


〜中郷サービスエリア(下り線)〜

常磐自動車道中郷サービスエリア(下り線)に野口雨情の詩碑が6つあった。


童謡詩人野口雨情

 あなたは野口雨情をご存じですか。雨情(明治15年から昭和20年)は、北原白秋西条八十と共に日本三大童謡詩人に並び称されています。豊かな童心を核とし、素朴な香りをまとったその作品は、いつもやさしく私たちの心になじみます。

 「赤い靴」「雨降りお月さん」「あの町この町」「青い目の人形」「しゃぼん玉」「蜀黍(もろこし)畑」など、あなたもきっと口ずさんだことでしょう。脈々と愛唱されている雨情の歌は、不思議なほど日本的情景をメロディーの向こうに呼び起こしてくれます。心乾いた現代にさえ・・・。

 ここ北茨木市は雨情の故郷です。この公園に散在する雨情の詩碑は、地元にゆかりのある人々の手で心をこめて揮毫それたものです。1つ1つが個性的表現で、作品の内容はもちろん、愛されている雨情の一端を味わっていただけることでしょう。そして雨情の仰いだ空、目にした緑、頬に届いた風を足をとめてあなたも感じてみて下さい。そんな喜びの小道が、今、ここから始まるのです。(桂木なおこ)

赤い靴


赤い靴はいてた女の子

本居長世(1885−1945)作曲。『小学女生』大正10年12月号に発表。

「たのしくはずんで」とあるが、とても楽しい歌とは思えない。

横浜の山下公園に「赤い靴はいてた女の子像」がある。

雨降りお月さん


雨降りお月さん  雲の蔭
お嫁にゆくときや  誰とゆく
ひとりで傘(からかさ)  さしてゆく

 作曲は中山晋平(1887−1952)。『コドモノクニ』大正14年1月臨時増刊号に発表。栃木県の道の駅「きつれがわ」にも詩碑がある。

あの町この町


あの町この町    日がくれる 日がくれる
今来たこの道    帰りやんせ 帰りやんせ

作曲中山晋平。『コドモノクニ』大正13年1月号に発表。

平成18年(2006年)、「あの町この町」は日本の歌百選に選定される。

青い眼の人形


青い眼をした お人形は
アメリカ生れの セルロイド

日本の港へ ついたとき
一杯涙を うかべてた

「わたしは言葉が わからない
迷ひ子になつたら なんとせう」

やさしい日本の 嬢ちやんよ
仲よく遊んで やつとくれ

作曲本居長世。『金の船』大正10年12月号に発表。

シヤボン玉


シヤボン玉 飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こはれて消えた

シヤボン玉 消えた 飛ばずに消えた
生れて すぐに こはれて消えた

風 風 吹くな シヤボン玉 飛ばそ

作曲中山晋平。『金の塔』大正11年11月号に発表。

 明治41年(1908年)、雨情は娘みどりを生まれてからわずか8日後に亡くしている。

平成18年(2006年)、「シヤボン玉」は日本の歌百選に選定される。

蜀黍畑


お背戸の 親なし はね釣瓶

海山(うみやま) 千里に 風が吹く

蜀黍(もろこし)畑も 日が暮れた

鶏 さがしに 往かないか。

作曲は藤井清水(1889−1944)。『金の船』大正9年6月号に発表。

この歌は何故か知らない。

中郷サービスエリア(上り線)にも野口雨情の詩碑が7つある。

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