板垣退助ゆかりの地


元高源院墓地

京浜急行電鉄本線新馬場駅下車。

品川区北品川の国道15号(第一京浜)沿いに品川神社がある。

 大正8年(1919年)7月16日、板垣退助は83歳で死去。

 大正12年(1923年)、高源院は関東大震災で大きな被害を受ける。

 昭和14年(1939年)、世田谷区北烏山に移転。板垣退助の墓はそのまま残された。

品川神社の裏手に元高源院墓地がある。

邦光院殿賢徳道圓大居士


 品川区指定史跡

板垣退助墓

 板垣退助は、天保8年(1837年)に土佐(高知)で生まれた。幕末に藩主山内豊信の側用人となるが、討幕運動や戊辰戦争(1868年)に参加して功績をあげた。明治7年(1874年)に愛国公党を結成し、自由民権運動をおこした。明治14年(1881年)には自由党を結成して総裁となり、近代日本の政党の基礎を築いた。翌年、岐阜遊説中に刺客に襲われたとき、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだことばは、当時の若者達を感激させ湧かせた。明治29年(1896年)から伊藤内閣や大隈内閣の内相をつとめたが、明治33年(1900年)に政界を引退した。大正8年(1919年)に亡くなり、この地に葬られた。

品川区教育委員会

板垣死すとも自由は死せず


 昭和43年(1968年)、明治維新百年・板垣伯薨去第五十回忌を記念して板垣退助先生顕彰会により建立。佐藤栄作揮毫。

京浜急行電鉄本線新馬場駅


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