旧東村山郡役所南側の城山公園に「芭蕉翁ゆかりの地、翁塚を保存するため」の碑があった。 |
山形の俳人雨聲庵山皓が宝暦10年4月19日象潟探勝の旅日記「笠の連」に次の一節がある |
天童なる浦夕子を尋ねて |
おのづから畳も青し若楓 | 山皓 |
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その下闇を問ふほととぎす | 浦夕 |
天童念佛堂の境内に翁塚を拝す。うしろには楯跡の小山をたのみ、碑前にはおのづからなる古池あり。松風は梵をなし、蛙とびこむとの詠も眼のあたりなり。 |
鉦鼓より鳥のかんこや翁塚 | 山皓 |
芭蕉翁が天童を通り、山寺を尋ねたのが元禄2年旧5月27日、28日である。宝暦8年旧8月12日、菱華亭池青が念佛堂に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑を行脚70年記念に建立し翁塚と称した。山皓が翁塚を訪れたのが2年後のことである。 昭和61年 ふみつき |
『俳諧一葉集』より |
清風亭 二句 |
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行末は誰肌ふれむ紅の花 |
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眉掃を俤にして紅のはな |
行すゑは誰肌ふれむ紅の花 此句はいかなる時の作にかあらん。翁の句なるよし、人々のつたへ申されしが、題しらず。
『西華集』(各務支考) |
ゆくすゑは誰の肌にふれむ紅の花 愚考、源氏末つむ花の巻に、「紅の花ぞあやなくうとまるゝ梅の立枝はなつかしけれど、詞にいでやとあひなくうちうめかれ玉ふ。あないとをかし、かゝる人々の末々いかなるや」、云々。物語の俤也。紅はすべて若ものゝうらにのミ用ふるからに、肌ふれバとハ光せりたり。
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸) |