2021年山 口

ザビエル下関上陸の地〜堂崎の渡し場跡〜
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引接寺からカモンワーフへ。

カモンワーフに「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地」の碑があった。


           聖フランシスコ・ザビエルの軌跡

         ポルトガルを出て8年後の1549年、
       鹿児島に上陸したキリスト教宣教師ザビエル
     らは、西国の覇者大内義隆に会うため、翌年平戸
   を経て10月末−11月頃下関の地に上陸しました。
    次いで1551年3月に平戸から再度山口への道を
たどりました。その結果大内領内に布教を認められ、やがて
1586年には下関にも教会堂が建てられ、キリスト教布教
の一拠点ともなりました。

「たとえ、全世界を手にいれても

  自分の魂を失ったならば、

         なんの益になろうか」

(マタイ福音書16章26節)
(ザビエルが、日本に行くことを決意させた聖書のことば)

聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地


1550年秋、下関の地に異邦人が上陸しました。
その名はフランシスコ・ザビエル

願わくは、神の栄光の人々への奉仕のために、
あらゆる危険と困難をも顧みず、この下関の地に
上陸した聖フランシスコ・ザビエルの不撓不屈にして
偉大なる精神と行動力にあやからんことを。

堂崎の渡し場跡


平成14年(2002年)11月30日、建立。

 山陽道はここで終わり 関門海峡を渡って九州へと続いていました。いつのころからか堂崎の渡し場と呼ばれた公式の船着場がこの地にあって、江戸時代には旅人の往来手形を改める津口の船番所も置かれていました。

 ここは、日本で初めてキリスト教と西洋文化を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルや、長崎で殉教した二十六聖人、幕末の思想家吉田松陰や志士高杉晋作ら多くの有名無名の人々が、この渡し場の石段を踏みしめて、歴史の1ページを書き加えていったのです。

 碑の前面に堂崎の渡し場の石を活用しました。

門司港(マリンゲートもじ)へ。

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