2023年富 山

高岡古城公園〜芸術の森〜
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北陸新幹線「新高岡駅」下車。

JR城端線新高岡駅


高岡駅へ。

慶長14年(1609年)9月13日、高岡城完成。

明治22年(1889年)4月1日、市制施行。

高岡市古城に高岡古城公園がある。

「旅の追憶」の像


昭和63年(1988年)高岡市彫刻のあるまちづくり事業で設置。山本正道制作。

 昭和14年(1939年)10月17日、西森方昭は大阪市に生まれる。

 昭和47年(1972年)3月、高槻城公園に高山右近の像建立。西森正昭制作。

 昭和53年(1978年)、NHK大河ドラマ『黄金の日日』で鹿賀丈史(かがたけし)が高山右近を演じた。その印象が強い。

高山右近の像


昭和62年(1987年)、設置。西森方昭制作。




明治43年(1910年)、碌山荻原守衛制作。

 明治43年(1910年)4月20日、碌山は新宿中村屋で吐血。22日、満30歳5ヶ月で永眠。

 明治22年(1889年)5月25日、吉田三郎は石川県金沢市に生まれる。

 明治40年(1907年)3月、東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科に入学。

 明治45年(1912年)3月、同校を卒業。同期に北村西望がいた。

 昭和10年(1935年)、千代尼百五十回忌に当たって聖興寺に千代尼堂建立。

 昭和26年(1951年)3月21日、上野公園に野口英世銅像除幕。

 昭和28年(1953年)、「雲に漂う」制作。

雲に漂う


雨模様で、暗い。

吉田三郎 「雲に漂う」

ここに立つひとりの男性、手は高く空にさしのべられている。指先は天をさし、男性は雲端にただよって、さらに上昇を指向するかのようにも見えてくる。肩に寄せられた顔は、運命の漂いに身を任そうとするかのようである。手は下に垂れ、爪さき立つ両足、まさに伸びきった肉体の表現。空間に立つというよりは、空間をとりこんだ、そこから広がる作家の人間存在への追及を思う。

 昭和33年(1958年)4月20日、四高記念碑設置。吉田三郎制作。

 昭和37年(1962年)3月16日、吉田三郎急逝。享年72歳。

 昭和54年(1979年)4月、高岡市開町370年・高岡市制施行90周年記念に設置。

高岡古城公園芸術の森記念碑


 わが高岡市は、開町以来、豊かな美術工芸の伝統を育み、明治の近代化を経て、鋳物の街として、大きな発展を遂げてきました。

 ここに開町370年・高岡市制施行90周年記念して、多くの方の御指導と御支援により高岡発祥の地、古城公園に芸術の森を開設しましたのは、こうした歴史をふまえながら、本市の地場産業が誇りとする鋳造技術と、日本の代表的彫刻家の成果とが見事に融合、昇華した作品群の鑑賞を通じて、美術工芸の発展と文化、芸術の振興に資したいとのねがいによるものであります。

 古城の豊かな水と緑の自然のなかに展開する数々の彫刻が、見る人、訪れる人とともに息吹き、語りあい、鋳物の街高岡のイメージとあわせて、いつまでも親しまれ、愛されることを心から期待してやみません。

 明治25年(1892年)3月3日、長谷川義起(よしおき)は富山県射水郡(現:高岡市)に生まれる。本名勝之。

 大正4年(1915年)3月、東京美術学校彫刻科本科塑造部を卒業。

 昭和13年(1938年)、「國技」制作。

國 技


長谷川義起 「国技」

スポーツを主題とした彫刻作品が、展覧会に出品されるようになったとき、いちはやく頭角をあらわした作家の一人、とりわけ相撲をテーマにしたすぐれた作品で注目された。土俵上で巨体が相搏つのは、それだけで壮観であるが、この作品では、呼吸があい発止と立って、四つに組んだ場面である。全体にみなぎる緊張感と背から腿にかけての肉体は触発の力を込めて、力動感のあふれる作品になっている。

 昭和49年(1974年)2月20日、長谷川義起死去。享年81歳。

 昭和54年(1979年)4月、高岡市開町370年・高岡市制施行90周年記念に設置。

「國技」の像は靖国神社にもある。

本丸広場へ。

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