2023年富 山

高岡古城公園〜本丸広場〜
indexにもどる

高岡古城公園本丸に射水神社がある。


本丸広場に「私の家族」の像があった。


昭和48年(1973年)、富永直樹制作。

富永直樹 「私の家族」

いまこの群像の前に立つと、ともに生活を分かちあうような親しさが感じられる。三人の家族は、公園のベンチに憩い、ひとときの安らぎを共有している。たった今までボールを蹴って遊んでいた少年と、母に寄り添っている少女。作家は、簡素に母子のたたずまいを描写している。陽光も明るい公園のひととき、母子像は、しあわせをさながらに憩うている。

熱 風


北村西望制作。

北村西望 「熱風」

草原の中にゆったりと歩く百獣の王ライオン、作家独自の技法で見事に表現されている。

誰をも恐れない、内に秘めた荒々しさと威厳、威風堂々と獲物をねらい一歩踏み出すその姿の周囲の草原には熱い風が吹く。

裸 婦


昭和42年(1967年)、木下繁制作。

木下 繁 「裸婦」

美しいものを出来るだけ美しく、という考えを捨て、作者は肉体の内部からあふれる力や情熱を、独自の表現でとらえている。若い女性の肉体は限りなく美しい。そして肉体の内面に満ちわたる力を鋭いタッチで表現している。裸婦は、振り返って急に動作を変えているが、胸から胴へ、ふてぶてしいまでに限りないたくましさ。そこには、あきらかに生命みなぎる熱い血が脈打っている。

知らなかった。




昭和45年(1970年)、北村西望制作。

北村西望 「夢」

野辺であろうか。若い女性がここちよく足を延べて座っている。目を閉じているが、あたかもその表情の安らぎに誘われたかのようにm髪に蝶が憩うている。女性はどんな夢を追いつづけているのだろうか。おそらくそこには、深くやさしい愛のこころがはぐくまれているのだろう。あたりの静かさのなかに、あたかもせせらぎの音が聞こえてくるような、見る人も耳を傾けたくなる風情である。

行 路


昭和3年(1928年)、斎藤素巌制作。

斎藤素巌 「行路」

人間も社会も、平安を願いながら、その行路にはさまざまの苦しみがあり、障害が満ちている。しかも人々は、その障害に押されながら、それを乗り越えて前進する。それが生きる者の宿命である。リズムの表現に巧みな作者は、絵画的な浮彫りのの技法を生かして、繊細な造形感覚をゆきわたらせている。肉体から着衣へと、流れるような動きの美しさは、見る人の目を、こころをとらえてはなさない。

知らなかった。

若 葉


 昭和41年(1966年)5月9日、円鍔勝三により平和の像として制作され、広島の平和記念公園に建立。

解説は見当たらなかった。

レ ダ


昭和39年(1964年)、澤田政廣制作。

澤田政廣 「レダ」

レダはギリシャ神話からの取材である。ゼウス(ローマ神話のジュピター)は、白鳥に姿を変えて訪れ、スパルタ王テュンダレオスの妻であるレダを愛する。その愛のポーズは、多くの作家の作品のモチーフになっている。この作品では、金色と着色の織りなす幻想的なふたつの姿態が、独自の技法によって表現されている。緑の空間に、色彩が美しくかがやく造形美の世界である。

知らなかった。

競技前


昭和34年(1959年)、朝倉文夫制作。

朝倉文夫 「競技前」

水泳競技を前にして、緊張を全身にみながらせながら、精神をしずめ、泳法に思いをこらす青年のポーズが余すところなく表現されている。鍛えられた筋肉は、触発の力をさながらに湛えている。作者は、人体を自然のままにとらえ、完璧な技巧によって常に新鮮な造形美を創りだした、日本近代彫刻の大家。この作品にも、型にはまらない洗練された感覚と技法が遺憾なく発揮されている。

前田利長公


昭和50年(1975年)11月、建立。米治一制作。

鶏舎の朝


昭和40年(1965年)、古賀忠雄制作。

わけあって、「解説」は省略。

2023年富 山〜に戻る